『皇室担当デスクに聞く“公人と個人”』への皆さんの反応まとめ
会見は当初、記者の質問に2人が直接答える予定でしたが、25日に急きょ、質問には文書で回答することになりました。
そのきっかけとなった質問が「小室さんの母親による遺族年金の不正受給の疑惑」「小室さんが留学先の大学で、婚約者として特別な待遇を受けたのではないか」というものでした。
眞子さんは「この質問は、誤った情報が事実であるかのような印象を与えかねない質問であると思います」として、2人とも事実ではないと否定しました。
報道ステーション皇室担当の横地明子デスクに話を聞きます。
(Q.小室さんが独断で動いたことはなく、小室さんの母親の金銭トラブルの対応や留学を早めたことは、眞子さんからお願いしたことですと発言していましたね)
初めて出た話で、本人の口から出た言葉ということで、私も非常に驚きました。“金銭トラブル”の対応や、留学のタイミングまで、かなり踏み込んで判断されていたことが分かりました。
(Q.眞子さんが複雑性PTSDになった要因の一つとして、メディアの存在もあるわけで、逃げてはいけないことだと思います。開かれた皇室という言葉の本当の意味を問い直す機会でもあると思います。皇室を取材してきた横地さんはどう見ていますか)
非常に重い問題だと思います。戦後、象徴天皇制になり、昭和、平成、そして令和と時代が変わるなかで、皇室は徐々に開かれた存在になってきたんだと思います。そうは言われていますが、果たして本当に開かれた皇室になっていったのか。私は、少し疑問があると思っています。
というのも、今でも天皇陛下や皇族の方々に、私たち記者が直接、質問する機会は限られています。映像はたくさん公開されています。しかし、歴代、宮内庁が提供している映像は、音声が入っていないものも多くあります。ご本人たちが本当は何を考えておられるのか、私たちは映像や現場を見つつ、側近への取材を通して、お伝えしているのが現状です。
今回、眞子さんが、ご本人の言葉で直接、踏み込んだ発言をしたことで、初めて知ることも多く、色々と悩まれたことに、気が付かされました。
ある皇族は「皇族といえども、一人の生身の人間です。笑いもすれば怒りもするんです」と、話されています。
メディアが生身の人間である皇族、あるいは天皇陛下に対して、どこまで取材をするのか。その境目は都度都度、判断していくしかないのかなというのが、正直な実感です。
(Q.私たちは、眞子さんの結婚を皇族という「公人」の側面から伝えてきたはずですが、傷つきやすい「個人」の領域にまで踏み込んでしまった面もあるかもしれませんね)
今はネットの反応も、ともすればご本人たちに直接届きやすくなっています。良い話も悪い話も伝わってしまう。あらゆる人たちに納得してもらうために、どこまで答えるべきか。眞子さんたちや関係者も今回、最後まで迷っていたといいます。
(Q.赤坂御用地でのお見送りの際、佳子さまが眞子さんにハグをされていましたね)
カメラの前でここまで感情を表に出されるシーンは、今まで取材をしてきた中で、初めて見ました。目に見える形で応援をしたいと思われたのか、さみしさなのか、ご本人に直接お尋ねできていないので、分かりませんが、非常に印象的でした。
佳子さまも、いつか皇室を離れる日がくるかもしれません。そうなると、皇族の人数が減っていくので、これまでと同じような公務量をこなせなくなる、という指摘もあります。
皇室の在り方の議論を加速させていくきっかけに、今回の結婚がなるかもしれないと思いました。