日本人アーティスト・ミヤザキ ケンスケ:キャンバスは「壁」
ミヤザキケンスケの活動する舞台は貧困や戦禍に苦しむ地、キャンバスは「壁」だ。これまでさまざまな国で壁画を描き続けてきたが、ウクライナもその1つ。なぜミヤザキは身の危険を顧みず壁画を描くのか、ロシアのウクライナ侵攻をどんな思いで受け止めているのか。
ミヤザキケンスケは貧困や騒乱、紛争などに苦しむ世界のあちこちへ出かけ、現地の人々と協働で壁画を描いている。フィリピン、ケニア、東ティモール、エクアドル、ハイチ……さまざまな国で壁に向かって絵筆を振るい、カラフルでどこかユーモアの漂うビジュアルメッセージを残してきた。
「僕が壁画に込めるテーマは“スーパー・ハッピー”です。戦争や貧困という大きな壁を前にしても、そこに暮らす人たちには、必死に生きているというプライドがある。そういう誇りを持っている人たちが、明るいハッピーな気持ちになって、壁に立ち向かっていくのを応援したいんです」
ミヤザキはこう熱く語る。金茶に染めた髪、鼻下と顎のヒゲからこわもてにも見えるが、語り口は快活、眼差しに人好きしそうな光が宿っている。
そんな彼が、ロシアによる軍事侵攻の激化するマリウポリから送られてきた画像を見せてくれた。
「この4月初旬、僕らの作品が砲撃され、大小合わせ3つの穴が開く被害にあってしまいました」
ミヤザキたちが壁画を描いたのはマリウポリにある第68学校。日本の学制だと小学校と中学校が1つになった初中等学校だ。その校舎の11m×11mの広大な壁面に、ミヤザキは現地の子どもたちを中心とした200人近いメンバーと大作をものした。
「平和と共存の想いを込めて描いた壁画なのに……戦争という行為が腹立たしくてなりません」
ミヤザキがウクライナの首都キーウとマリウポリを訪れたのは2017年の夏だった。
「まず国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)からオファーをいただき、それをきっかけに在日ウクライナ大使館、在ウクライナ日本大使館からも公式な事業として認定していただきました」
UNHCRからは「難民との共存」、ウクライナからは「日本との国交関係樹立25周年」を記念した壁画の制作を打診された。
「ウクライナは難民の受け入れに前向きで、シリア、アフガニスタン、コンゴなどからの難民がたくさんいました。また京都市とキーウ市、横浜市とオデーサ市が姉妹都市になるなど日本とウクライナとの交流も盛んでした」
日本とウクライナの関係を補足すれば――ミヤザキが訪問した17年は「ウクライナにおける日本年」に制定され、ミヤザキの壁画制作を含む多くの日本文化行事が行われた。両国の交流は、当時はもちろん、その後も活発となっており、日本が自動車や機械・装置類などを輸出。ウクライナからは鉱石、農水産物、木材加工品などを輸入している。
ミヤザキはウクライナでのアートワークを快諾した。
だが、彼は現在のロシア軍事侵攻を想起させる、のっぴきならない事態に遭遇する。
「5年前のウクライナは内戦状態でした。14年のクリミア併合をきっかけとしたウクライナ政府軍と親ロシア武装勢力によるドンバス戦争が長期化していました」
ミヤザキは苦笑まじりで語る。
「僕は覚悟を決めましたが、日本人と韓国人からなる7人のスタッフチームから、1人の辞退者が出ました。大使館やUNHCRには何度も『自己責任ですからね』『いつ、どうなるか分かりませんよ』と念を押されました」
17年7月、首都キーウに入ったミヤザキは、早速、市内のカルチャーセンターで壁画制作にとりかかる。ウクライナの国内避難民の子どもだけでなく、シリアやアフガニスタンからの難民の子どもたち50人を率いて、桜花の下、ランニングを楽しむ世界の人たちを描いた。
だが、ミヤザキの笑顔は次の目的地で強ばってしまう……。
「キーウは比較的安穏でしたけど、マリウポリはそうはいきませんでした」