Dr.國井のSDGs考(上) 入試が日本の学生をダメにする 東京大名誉教授・黒川清さん
◆「東大を変えて」説得に負け…
國井 黒川先生はわれわれにとってのヒーローです。東京大医学部を卒業後、米国に留学してそのまま14年間、研究や臨床に打ち込み、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の教授にまでなって…。
黒川 UCLAと提携する4つの教育病院のひとつWest Los Angeles VA Medical Centerで腎臓の主任教授をしていました。当時の出来事として思い出されるのは、北米で始まったエイズの最初の患者が、数週の間にサンフランシスコから続けて3人来たことです。
國井 1981年ですね。
黒川 当初は患者が全員、ゲイの男性だったことから、Gay-related immune deficiency(GRID、ゲイ関連免疫不全)と命名されそうになっていたのです。差別的だからやめた方がいいということで、AIDSになりました。
國井 ハイチから来たルートもあって、当初はAIDSにはいくつかの差別的な名称がつけられましたよね。そんな世界の医学の最先端である米国で、それこそ丘の上の大きなプールが付いた家で生活していたのに、日本に帰ってきたのはどうしてですか?
黒川 ある日、東大の私が所属していた第1内科の教授候補になったと知らされて。でも、そのときは落選しました(笑)。ところがその後、私の恩師のひとりである尾形悦郎教授が私の自宅まで来られて、自分の第4内科の助教授のポストが空くので戻ってきてほしいとロサンゼルスまで来られて口説かれ、恩師の説得に負けました。
國井 UCLAでは教授だったのに、東大では助教授。気になりませんでしたか?
黒川 東大を変えるためにどうしても、と熱心に頼まれてね。でも、組織を変えたいといっても、トップをやめさせるメカニズムはなかなか難しい。教授会の選挙が選ぶのだから、いろいろと動く人たちがいる。企業なら株価や売り上げが出るから、経営者の責任を問える。それだって最近のことですが。一方、霞が関の官僚の世界では、そんなメカニズムは組織内の問題です。大学もそうです。
國井 トップを変えるのはどこでも大変なようです。
黒川 大学では教授や学長を選挙で選んでいるけど、これはガバナンスの問題です。もっと広く、優れた人を探す、つまり〝サーチ〟しないといけない。私もその立ち上げから参加していた、今や世界的に知られる沖縄にあるOIST(沖縄科学技術大学院大学)の学長選考のプロセスが世界の標準の一つでしょうね。
例えば、米国のエリート大学の学生が読まされる本のトップ10というのがあるけど、日本ではどうしてその本なのか、「なぜ?」と考える人があまりいない。私はWHYを考えたい、HOWじゃないんです。
國井 私の子供も米国やアジア・アフリカのインターナショナルスクールで教育を受けたので、小学2、3年生ぐらいから、自分の主張がすごかったんです。何かあるとすぐに「WHY?」です。自分の頭で考えて自立していくという意味では大切ですよね。日本でも小さいころはそうだと思うんですが、いつの間に受け入れるようになっちゃうんでしょうか。
黒川 入試だろうね。東大に合格した学生は優秀ということになっているけれど、彼らの才能は、何に生かされていると思う? クイズ番組です。何でも知っている、要するに試験の正解率が高い。
國井 答えのない社会の中で生きていかなければならないのに、思考力よりも暗記力を重視する。交渉力、コミュニケーションの能力も育っていません。日本の高等教育機関にも課題がありますね。日本でも最近、高校を卒業して海外の大学に行く学生は増えてきましたが。
黒川 ようやくですね。ユニクロの柳井正社長が財団を作って、英米の大学に進学する日本の高校生を応援する奨学金を始めた。笹川平和財団も始めたね。すごくいい試みだと思う。海外に行けば、向こうの教育を受けて視野が広がるし、友達もできる。将来にわたってそのネットワークが大事、自分個人の友人のネットワークです。そして、日本の弱いところに気がつき始める。これは健全な愛国心をはぐくむ。
◆中国、韓国にかなわない留学の本気度
國井 私が危機感を感じるのは、海外で学び挑戦しようとする日本の若者が少ないこと。米国の大学で学ぶ中国、韓国人は2020年でそれぞれ30万人、4万人のレベルですが、日本人は1万人程度。しかも大学や大学院で勉強するだけじゃなく、韓国や中国の人はそのまま居続けてキャリアを作ろうという人が多い。日本人は2、3年留学して日本に帰ってしまう。本気度が違うわけで、そこで得られる実力や経験も違ってくる。各国のグローバル化や世界で活躍する人材や組織をみても、差が開くのは当然のような気もします。
黒川 米国にいたとき、日本の知り合いから教え子をポスドク(博士号を取った後に研究を続ける博士研究員)として受けてほしいと頼まれることも多かったんだけど、みんな優秀でね。言われたテーマを考え、一生懸命やるからすごくありがたかった。しかも、みんな必ず2、3年で帰っちゃう。アメリカでの日本からのポスドクの仕事先を探す必要がないのはありがたいです。
國井 先生は日本に帰ってきた大きな理由として、大学や教育界の改革をしたいとおっしゃった。その言葉通り、東大でも東海大でも徹底して改革に取り組まれましたよね。
黒川 「教育は恩返し」だと思うのです。自分が良い教育を受けてきたかは、(学校の)外に出てもわからない。でも、自分が教える立場で学生の前に立った途端にわかる。いい教育を受けていると、自分が受けた教育が無意識に湧いてきて、次の世代に返そうと思うんだ。
國井 でも、日本には「こういう人になりたい」というロールモデルやメンターが少ない気がします。私は欧米だけでなく、低中所得国で働く中でも、欧米人のみならず、国際的に活動するアジア人やアフリカ人の中にも、優れたコミュニケーション能力や巧みなマネジメント能力、ほれぼれするようなリーダーシップをもつ人を多く見てきました。困難の中で自分の頭で考え、いろいろなチャレンジをし、専門だけでなく幅広い知識・情報を得ながら知恵を磨き続けて進化しいていく人は、違うんです。大学教授とか国会議員とか学会理事とか、そんな肩書じゃなくて、私にとって欲しかったロールモデル、メンターは、真に社会や世界に貢献できる人、変えられる人、そのために組織をリードしていける人です。そんな人たちに触れて学ぶことができたのは、とても幸せです。
黒川 確かに海外には広い分野ですごい人たちがいっぱいいる。私が国際腎臓学会の理事長をしていたとき、最初のあいさつに立ったら、一番前の真ん中に座っていたのは米テキサス州のサウスウエスタン大学医学部を作ったドナルド・セルディン教授でした。当時70歳を超えていたと思うけど、いつもとても熱心にしっかり聞いている。厳しい質問を出してくる。彼は、私のキャリアの「こういう人のようになりたい」と思う目標、つまり教育者として私のあこがれであり、ロールモデルでした。
國井 先生がロールモデルとした人たちは、どこがすごかったのでしょうか。
黒川 若者には優しく、でも、とても厳しい、目的を高くしていて、一生懸命育てていたところかな。バラックから始まったサウスウエスタン大だけど、ノーベル賞受賞者も出すほどの一流の大学に育てた。見どころのある学生をNIH(米国立衛生研究所)に行かせたりと、次世代の育成にとても熱心でした。
國井 私のロールモデルも、好きなものに邁進(まいしん)してそこで結果を出しながらも、社会にどう貢献するか、どのように変えるべきかを常に考えている人たちです。相手が若くても気さくに対等に接し、逆に大統領であろうが大臣であろうが、物おじせずに言うべきことははっきりと物申す。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」といいますが、日本では年齢や肩書の上にあぐらをかいて、下には威圧的、上にはこびる人がまだいるようですね。
黒川 日本は形から入って形で覚えちゃう。その形になった理由は何だということを考えさせることが大事なのにね。その理由も最近ではいろいろ考えています。
授業のやり方も違う。例えば、デジタル時代になってMIT(マサチューセッツ工科大学)では、授業をオンラインで公開している。その結果、生徒と先生が向き合ってやる対面授業は半分ほどになっている。クラスの中では全部が丸いテーブルで、5、6人の生徒が、先生から投げられるいろいろな問いを議論する、この連続。
國井 人数が少ないといいんですけど、日本だとどうしても50人以上の講義もありますし、講義が一方的になってしまいますね。
黒川 日本は一方通行の授業が多すぎる。
國井 私はもはや一方的な講義は録画や資料にして学生が自分で勉強してもらい、対面では議論や実習を充実した方がよいと思っています。教育の方法を抜本的に変える必要があると思っているのですが、なかなか変わっていないですね。
ただ、日本に比べて米国の大学の授業料は高いですね。留学に関しては、必ずしも米国じゃなく、ヨーロッパには結構いい大学で授業料が安いところが多いので、私は若者にそういう大学も勧めています。
◆「教訓」が生きない日本
國井 私は国際的に活躍でき、日本国内で強いリーダーシップを持てる人材を育て増やす必要があると強く思っていますが、それには戦略が必要です。ただ大学やカリキュラムをよくして、人材育成コースを作ってもなかなか増えない。限られた数の大学や組織だけでなく、社会や日本全体で育てるくらいの文化やメカニズムを作る必要があると思っています。これはいいなという若者がいたら、その人を潰さないよう、また、うまく成長できるように経験させることが大事。グローバルヘルス分野でいえば、伸びそうだという若手には、本人の希望も聞きながら、厚生労働省の国際保健から現場まで、国内外でさまざまな経験をさせる。経験を積まないと、やはり人間は育たないと思います。
黒川 米国の大学も4年制だけれども、2年たったときに移動というか、多くはないけど中途で動くこともできる。日本でもそういう移りやすさがあるといいね。また、日本のような入試はない。一般的な基本試験と高校の推薦状と本人の意欲重視だしね。東大や京大といった旧帝大が、入学者の10%でもいいから試験じゃなくて論文、面接選考を始めるのもいい。そこから入ってきた学生がどう育っていくか、結果が出るのは10年くらいかかるけど、良ければ広げるなり続ければいいと思う。米国では、他の分野と同じように医学部は大学院であり、4年の大学を終わった後に、さらに4年間、そして基本的には違う大学の医学部に行くのが基本です。これは20世紀初めに始まった制度で、プリンストン高等研究所を作ったアブラハム・フレクスナーの提案によるものです。
國井 黒川先生は、ダボス会議に行ったり、医学を超えて日本の科学技術分野の振興にも取り組まれましたよね。
黒川 ダボス会議は1980年から90年にかけて十数年、毎年のように参加していました。
國井 私はもともと臨床医だったけれど、公衆衛生を学び、政策作りに興味を持って外務省に行き、グローバルファンドではビジネスモデルやコミュニケーション、マネジメントやリーダーシップなどを実践の中で学びました。だから今回の新型コロナでも、臨床医や感染症疫学者の立場からみるコロナ対策と、他の分野も見た上でのコロナ対策は全然違うと思いました。コロナ対策では、感染症や公衆衛生といった医療分野の専門家だけでなく、経済や教育の分野からもいろいろな人たちが議論して、それらを含めて政治家や行政が考え決めていくことが必要だと思ったのですが、先生はどう思いますか?
黒川 なぜそんなことを感じるんだと思う? なぜそんなに日本の対策に不満だったのだと思う?
國井 コロナから学ぶべきこと、教訓がたくさんあるのに、日本ではそれが十分に議論されず、将来へのアクションにつながっていないように感じるんです。英国議会はコロナ対策を分析して何が失策・失敗だったのかを明らかにした上で、将来に向けた提言を出しています。日本は失敗やそれに対する批判を恐れる国なので、それらをうやむやにして、せっかくの教訓を学ばないで終わってしまう。
世界をみると、教訓を学んで素早く進化している国と、過去の栄光にすがって教訓から学ばない、また素早い行動ができない国で差が広がっている印象を受けます。不確実の時代、また世の中の変化が加速する中で、教訓からの学びは迅速にアクションに変え、将来に備え、未来づくりをしなければならない。それが日本の経済社会が停滞し、世界から取り残されそうになっている要因のひとつのように感じます。残念ですね。
(構成・道丸摩耶)