天才指揮者ダニエル・バレンボイムが6歳で受けた「人生最良のアドバイス」
もしも私がピアノ教師の両親のもとに生まれた一人息子でなかったら、いまの私はないでしょう。
私は1942年11月にアルゼンチンで生まれました。当時は第二次世界大戦の真っ只中で、世界中がナチスに脅かされていました。私の家族はユダヤ人で、両親ともにアルゼンチン生まれでした。父方はウクライナ出身です。母方の祖父母はロシア人とベラルーシ人でした。祖父母は、南米に向かう移民船で1904年に出会ったそうです。
私の両親は篤信家ではありませんでしたが、過去を忘れてはならないという考えを持って、私を育てました。また彼らは音楽が、すべての人にとって日常生活の一部でなければならないと信じていました。
──ご両親は一人息子を音楽家に育てようとしていたのですか?
いいえ、特にそういうことはありません。母のピアノの腕は普通レベルでしたが、子供たちに鍵盤を教えていました。後にそれを父が引き継ぎました。彼らは私の音楽への興味にすぐに気づき、ブエノスアイレスのオーケストラのリハーサルに私を連れて行くようになりました。
私は音楽家たちと一緒にいることが大好きでした。1948年、偉大なヴァイオリニスト、アドルフ・ブッシュがアルゼンチンに来て、私を見て「あの子は誰だ?」と人に尋ねました。その人は「すごくピアノの演奏が上手い子だよ」と答えました。ブッシュは私の演奏を聴き、私の父が何をしているのか尋ね、父に会いたいと言いました。父は次のリハーサルでブッシュと会いました。二人が英語で喋っていたのを覚えています。
ブッシュは私に、ベートーヴェンのピアノソナタを弾くよう言いました。「この子は人前で弾いたことがあるのか?」とブッシュは父に聞きます。私の音楽のキャリアにとって、早く人前で演奏することがとても重要だと彼は考えたのです。そうしないと引っ込み思案になるからと。
私が音楽家になれると、もしもアドルフ・ブッシュが見抜いてくれなかったら、私はここにいないでしょう。両親は、私が音楽家になることを期待していたでしょうが、その姿を想像してはいませんでした。そして私は7歳のとき、初めてのコンサートを開きました。
──まさに神童というわけですね。大人たちの前で演奏することに怖さはありませんでしたか?
まったく! 反対に、私は舞台に上がって拍手喝采を聞くのが好きでした。最初のコンサートで私はアンコール用に7曲を用意しました。観客は盛り上がり、私はその7曲全部を演奏し、最後には「ごめんなさい。知っている曲はすべて演奏してしまいました」と言わざるを得ませんでした。