筆致伝わる正岡子規への5通 文豪からの所在不明書簡を発見
書簡は、漱石3通と鴎外1通で全集に掲載されている。さらに詩人の国分高胤からとみられる1通が新たに見つかった。
漱石と子規は親友で、旧制第一高等中学の同級生だった1889年1月ごろに交友が始まった。見つかった1通はその約8カ月後の9月27日付。漱石は自らを「郎君(情夫)」、子規を「妾」と書き、進級が危ぶまれた子規のために何とかしようと試みた経緯を、愛人のために奔走する情夫に例える。漱石研究者の川島幸希秀明大学長は「子規は書簡を受け取りにやりと笑ったかもしれない」と話す。
鴎外の書簡は1897年11月8日付。森鴎外記念館の山崎一穎館長によると、子規の敬称を「大人(うし)」としていることから尊敬の念がうかがえる。