「博多祇園山笠」780年の歴史に女性人形師が新風…初の舁き山笠制作、女神駆ける
博多人形師の父・虎雄さん(1968年に57歳で死去)のそばで、小学生の頃からイ草に金紙を巻いたり、のり付けをしたりして、山笠制作を手伝ってきた。高校卒業後に本格的に父に師事。人形展などで内閣総理大臣賞を複数回受賞するなど、博多人形師としての地位を確立した。山笠の制作は弟の修一さん(73)が受け継ぎ、サポートは続けてきた。
山笠は“男の祭り”とされ、「山笠に関しては女性はあくまで手伝い」。そう思ってきたが、今年2月、千代流の川口俊二総務(74)から、舁き山笠の表の制作を依頼された。川口総務は「女性の社会進出が叫ばれる中、山笠も時代に沿って変化しないといけない」と話す。
表舞台に出ることへの戸惑いもあったが、依頼されたテーマを聞き、迷いは吹き飛んだ。女性の太陽神、アマテラス――。神話や歴史が好きで、額田王や卑弥呼など女性の人形制作を生涯のテーマとしてきており、「経験を生かせる」と引き受けることにした。
4月から毎朝5時半に起床して制作と向き合い、寝る直前まで思考を巡らせた。女性の太陽神としての華やかさとたくましさを表現することを意識。眉毛はきりっとはね上げ、深紅のアイラインを施して目を強調した。舁き山笠が街を駆ける際に薄紫の領巾(ショール状の装飾具)がきれいに揺れるよう、観客からの見え方にも気を配った。
舁き山笠の見送り(裏)は、アマテラスの弟、スサノオをテーマに修一さんが制作した。姉弟で完成させた山笠が、いよいよ街に繰り出す。
「不安もあったが、面白かった。今まで培ってきたことを生かせたと思う」。満足感をにじませながら、凜と立つアマテラスを見上げた。