【古典俳諧への招待】みじか夜や芦間(あしま)流るゝ蟹の泡 ― 蕪村
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第30回の季題は「短夜(みじかよ)」。
みじか夜や芦間(あしま)流るゝ蟹の泡 蕪村
(1771年ころの作か、『蕪村句集』所収)
夏至が近づくにつれてどんどん夜の時間が短くなっていきます。明けやすい夏の夜を「短夜」といいます。この句は「夏の夜が白々と明け始めるころ、川岸に茂る芦の間から蟹(かに)の吐く白い泡が流れてきた」という意味です。
一見、無常観に満ちた『方丈記』の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留まりたるためしなし」(河は絶えることなく流れ続け、しかも水は同じ水ではない。よどみに浮かぶ水の泡も、生まれては消え、消えては生まれて、いつまでも留まるためしはない)を連想させます。けれども、蕪村の「泡」は「水の泡」ではなく、「蟹の泡」。はかなく消える無常感ではなく、水辺の小さな生き物の気配を感じさせる、いわば生命の証しとなっているのです。
しかもこの句は「百人一首」の歌を下敷きにして作られています。「難波潟みじかき芦のふしのまも逢(あ)はでこの世をすぐしてよとや」(難波潟の芦の節と節の間のようなほんの短い間でも、あなたに会わずに世を過ごせというのでしょうか)という平安時代の女性家人・伊勢の歌と、「みじか・芦・よ(世と夜)」の言葉、そして「あは」の2音が重なっています。歌の一番肝心な言葉「逢はで」の「あは」を「泡」に変えて蟹の泡にしてしまったのです。
これぞ俳諧の機知! 蕪村はこのように一句の中に詩情と機知の両方を盛り込む句作が得意でした。夏の美しい夜明けを詠んだ「みじか夜や」の句には、こんなユーモアが隠れているのです。
深沢 了子
聖心女子大学現代教養学部教授。蕪村を中心とした俳諧を研究。1965年横浜市生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。鶴見大学助教授、聖心女子大学准教授を経て現職。著書に『近世中期の上方俳壇』(和泉書院、2001年)。深沢眞二氏との共著に『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編・秋冬編』(三弥井書店、2016年)、『宗因先生こんにちは:夫婦で「宗因千句」注釈(上)』(和泉書院、2019年)など。