「空白の1万年」埋める人類活動の痕跡、相次ぎ出土…炉跡にアマミノクロウサギの骨
鹿児島市から約450キロ離れた徳之島・天城町。下原洞穴遺跡は、島の西海岸から約500メートル内陸に続く段丘の崖面にある。入り口(幅33メートル、高さ5メートル)を進むと、奥行きが最長で約20メートルの空間が広がっている。戦時中は防空壕にも利用されたという。
「この洞穴は先史時代の人々の暮らしの変遷を考える上で、非常に重要であることが明らかになってきています」。遺跡の調査を担当した同町教育委員会の具志堅亮学芸員は説明する。
奄美・沖縄では、沖縄本島で見つかった約2万年前(旧石器時代)の「港川人」以降、奄美群島で出土した約7000年前の南島爪形文土器にかけての約1万3000年間、人類活動の痕跡を示す遺物がほとんど見つかってこなかった。このため、旧石器時代から縄文時代相当期に移行するこの時期は「空白の1万年」と呼ばれ、徳之島でも約3万年前のすり石が見つかったガラ竿遺跡(伊仙町)以降、2万年以上の「空白」があった。
同町教育委員会が2016年度から22年度にかけて、継続的に発掘調査を実施した結果、空白を埋める発見が相次いだ。約2万5000年前の炉跡と思われる炭化物が集まった遺構をはじめ、国の特別天然記念物アマミノクロウサギの焼けた骨を含んだ約1万7000年前の炉跡なども出土した。人々が旧石器時代からクロウサギを食べていたことを示すものだ。
ほかにも、約3500年前の埋葬人骨なども見つかっており、2万年以上という幅広い年代の人類活動を物語る遺跡であることが明らかになった。
具志堅学芸員は、「空白の時代は地球が急速に温暖化し、海水面が大きく上昇した時期と重なっている。徳之島の人々は絶滅したか、あるいは島外に移住したのではないかと考えられてきた。しかし、下原洞穴の発見によって、連綿と人々が生活していたことが裏付けられた」と話す。