クリスマスツリーはいつ、どこで生まれたのか?
バルト海に面したラトビアとエストニアは、どちらも自国こそが世界で初めてクリスマスツリーを飾った場所であると主張している。ラトビアのクリスマスツリーの始まりは、1510年に「ハウス・オブ・ザ・ブラックヘッズ」とよばれる商人ギルドが1本の木を街に持ち込み、飾りを付け、その後燃やした出来事とされる。一方のエストニアは、1441年、首都タリンにおいて、同様の祝祭がまったく同じギルドによって行われた証拠があると主張している。
歴史家はしかし、どちらの説にも懐疑的だ。ラトビア国立図書館のグスタフス・ストレンガ氏は2016年、米ニューヨーク・タイムズ紙に、商人ギルドが行った祝祭はクリスマスとは無関係である可能性が高いと述べている。
キューザック氏はむしろ、わたしたちがよく知っている形のクリスマスツリーは、16世紀のアルザス地方(現在はフランスの一部で、当時は神聖ローマ帝国(ドイツ)の領土と考えられていた)で生まれた可能性が高いと述べている。記録によると、1539年にストラスブール大聖堂でクリスマスツリーが飾られたこと、また、クリスマスツリーの習慣が一帯に広まったために、1554年にはフライブルクの街がクリスマス用に木を伐採することを禁じたことがわかる。
クリスマスツリーの意味についても、いくつもの民間伝承がある。エデンの園のシンボル「楽園の木」を起源とする説もあれば、木の枝や宗教的な人物像を飾り付けた「クリスマスピラミッド」から進化したものだという説もある。キューザック氏はしかし、そうした説にはあまり信憑性がないと考えており、「クリスマスツリーは、キリスト教の文脈において中立的なものとされていました」と述べる。
それでも、クリスマスツリーの伝統はドイツの家庭に受け入れられ、長い年月をかけて現在の形へと進化していった。宗教改革者マルティン・ルターは、クリスマスツリーに最初に灯りをともした人物だとも言われている。星が光る夜空の下で夜の森を散策した後、街に帰ってその光を再現したのだという(現代のような電飾が発明されたのは1882年であるため、当時はロウソクの灯りだった)。ドイツからの移民によって、この伝統はほかの国々にも伝わっていった。18世紀にはクリスマスツリーはヨーロッパ中で見られたと、キューザック氏は言う。