聖徳太子に学ぶ 蘇我氏と一線画した舒明天皇
前園さんは、新著「律令国家前夜」(新泉社)を出版するなど古墳や飛鳥時代が専門。「飛鳥時代といえば聖徳太子(厩戸(うまやど)皇子)や推古天皇、壬申(じんしん)の乱(672年)に勝利した天武天皇が注目されるが、国づくりに重要な役割を果たしたのは、推古の後を継いだ舒明天皇」との見解を示した。
舒明天皇は、第1回遣唐使を派遣(630年)し、巨大寺院「百済(くだら)大寺」を建立。天武天皇の父として知られる。前園さんは、舒明天皇が国政運営にあたって参考にしたのが、中国の先進的な政治体制を目指した聖徳太子と指摘。「舒明天皇は、当時の政権を牛耳っていた蘇我氏と一線を画そうと飛鳥から離れた場所に宮を置いた。一般的に存在感の薄い天皇かもしれないが、政治的に大きな転換をもたらした」と話した。
舒明天皇陵について宮内庁は同県桜井市にある段ノ塚古墳を指定。同庁の調査で天皇陵に限られた八角形と判明し、研究者の間でも舒明天皇の墓の可能性が高いとされる。八角形は、皇帝の徳が四方八方に行き渡るようにとの中国の思想に基づいたとされ、天皇の古墳に限定。前園さんは「舒明天皇は古墳も八角形という斬新な形を採用し、天武・持統天皇陵などに引き継がれた」と語った。
八角形は、現代の皇室にも受け継がれている。令和元年10月に行われた「即位礼正殿(そくいれいせいでん)の儀」で、天皇陛下が即位を宣明された「高御座(たかみくら)」も八角形であることが知られる。
奈良芸術短大の公開講座では、卜部(うらべ)行弘准教授も古代の都に築かれた庭園をテーマに講演。同県明日香村では巨石を加工した噴水施設のある「飛鳥京跡苑池」が発掘され、斉明天皇や天武天皇などの宮廷庭園とされる。
卜部さんは、中国や朝鮮半島に視点を広げ「古代中国で庭園は、仙人が住む不老不死の世界を表現し、皇帝の理想郷として築かれた」と指摘。「日本で庭園は飛鳥時代の宮殿に導入され、奈良時代の平城京の段階で中国の都のように整えられた」と述べた。