荷台で彫っていたことも…竜王戦第3局の使用駒を制作した駒師「富月」は、元トラック運転手の異色の経歴
会場では会員が作った彫駒・彫埋駒・盛上駒だけでなく、駒箱や駒箱、駒を作る材料の駒木地、道具の駒尻台も販売されていました。「富士駒の会」で製作された駒は、富士宮市のふるさと納税の返礼品のひとつにもなっています。
「富士駒の会」を主催しているのは、駒師「富月」こと大澤建夫さんです。来月に80歳の誕生日を迎えます。
大澤さんはもともとトラックの長距離運転手で、早朝に出勤、深夜に帰宅という生活でした。なかなか会えない子どもとどうコミュニケーションをとったらいいかを悩み、共通の趣味を持とうと思って将棋を始めました。しかし、駒の動かし方を知っているぐらいだった大澤さんは子どもに1か月もたたないうちに負かされるようになり、次第に自分では指さなくなります。後に長男は本局の立会人・青野照市九段門下で奨励会に入り、いまは普及指導員として活躍しています。
大澤さんが駒を作るようになったのは、子どもを大会に連れていって終わるのを待っている時間がもったいなく感じたからでした。もともと歯科技工士として1年ほど働き、ブロンズ像や彫刻を習ったこともあり、手先は器用だったようです。駒作りの機関誌を読みながら、駒師や他分野の伝統工芸品の職人に教えを乞い、研鑽を積んできました。60歳でトラック運転手を引退するまで、荷台で彫っていたこともあるそうです。
本局に使用されている駒は、大澤さんが制作した巻菱湖書のものです。木地は貴重な赤柾(あかまさ)に、虎斑(とらふ)が入ったもの。大澤さんは「派手な材料ですが、字が乗ると大人しくなりました」と話します。虎斑は虎の模様のような木地です。観賞用としては人気があるものの、対局では目が疲れてしまうと避けられる傾向にあります。藤井竜王に譲られた広瀬八段が選んだのは、色や字とのバランスが整っていたからでしょう。大澤さんは「うれしかったですね。3つ用意した駒のうち、いちばん使ってほしい駒でしたから」と微笑みました。(紋蛇)