現代性と国際性の森美術館。20周年記念展「ワールド・クラスルーム」で見る多様性と普遍性
現代アートの国語・算数・理科・社会」が開幕した。本展は、学校で習う教科を現代アートの入口に、未知の世界に出会う場として現代美術館を位置付け直す試み。会期は9月24日まで。
会場では、54組のアーティストによる約150点を展示。同館の企画展としては初めて、展示作品の半数以上を同館コレクションが占めるという、20周年記念にふさわしい内容になっている。同館のキュレーター全員が携わる展示だが、主担当は片岡真実(森美術館館長)と熊倉晴子(森美術館アシスタント・キュレーター)だ。
最初のセクションは国語。冒頭を飾るのは、文学や詩とともに言語や言葉を重視してきたコンセプチュアル・アート運動の先駆者でもあるジョセフ・コスースの作品《1つと3つのシャベル》だ。同作をはじめ、本展では美術史において重要な参照点となる作品が多数紹介されている。
このほかにも、米田知子が近現代の知識人が使用した眼鏡とゆかりある文章を組み合わせ撮影したモノクロの「見えるものと見えないもののあいだ」シリーズや、本展のビジュアルにも採用されてきたワン・チンソン(王慶松)の大型写真作品《フォロー・ミー》なども展覧されている。
続くセクションは社会。現代アートと関わりの深い分野だけに、展示構成のなかで最も作品数が多く見応え十分なこのセクションは、「社会彫刻」という概念を提唱した20世紀においてもっとも偉大な美術家のひとり、ヨーゼフ・ボイスが1984年に東京藝術大学の講義で使用した《黒板》からスタート。
迫力あるサイズと色彩の《肖像(双子)》《モデルヌ・オランピア
2018》は、日本人男性である自分自身の身体を「異物」として西洋絵画に挿入してきた森村泰昌の作品。マットにテーブルの図像を織り込んだイー・イランの作品《 TIKAR/MEJA(マット/テーブル)》は、生活から支配がはじまり搾取に至る植民地支配を象徴しているという。
このセクションではまた、思想家・活動家でもあるアイ・ウェイウェイ(艾未未)による《漢時代の壷を落とす》《コカ・コーラの壷》、セクション後半に展示されている菊地智子の「I
and I」シリーズなども紹介。作家個人のアイデンティティと社会への批判の両方を強く感じられる空間となっている。
3つ目のセクション哲学では、「STARS展」(2020~21年)を契機としてでコレクションに加わった奈良美智《Miss
Moonlight》、李禹煥(リ・ウファン)の《対話》《関係項》、宮島達男の《Innumerable Life/Buddha CCI CC
-01》など同館が所蔵する著名な現代アーティストの作品が続く。
ツァイ・チャウエイ(蔡佳葳)
の《豆腐にお経》と《円Ⅱ》はどちらも短い映像作品。これまでに同館で開催された「シンプルなかたち展:美はどこからくるのか」(2015年)「MAMコレクション013:さまざまな線、宇宙のぜんぶ」(2021~22年)でも展示されてきた、館長の片岡も愛着のある作品だという。
4つ目のセクション算数では、自然界でも見られるフィボナッチ数列を用いたマリオ・メルツの《加速・夢・まぼろし》や、天文学的スケールを表現してきた杉本博司「観念の形」シリーズなどを紹介。これまでのセクションがアートや社会の多様性を示してきたのに対して、誰もが共有する概念や法則をもって、普遍性を感じさせる作品で構成されている。
5つ目の理科は、生物・科学・物理を内包する懐の広いセクション。スイスの2人組アーティストのペーター・フィッシュリとダヴィッド・ヴァイスによる《事の次第》は、日常的なもの転がり、ぶつかり合い、崩れ、燃え、爆発する30分間の映像作品。どこかピタゴラスイッチのようでもある映像作品で、ずっと見つめてしまうような魔力がある。
サム・フォールズの展示作品は、葉っぱと染料を用いてステンシルのようにしたキャンバスを風や雨にさらして描くという実験的なもの。その左手には瀬戸桃子の美麗な映像作品《プラネット
∑》、手前には梅津庸一による陶器の作品群《黄昏の街》が展示されており、生物や物質の微細な質感を見ながら自らを取り巻く大きな世界に思いを馳せるような作品の数々を楽しめる。
白い光に包まれた一角は、宮永愛子の新作《Root of
Steps》。六本木に居住通勤する人の靴を模した場所性を備えた彫刻を、常温で昇華する性質を持つナフタリンを用いて複数制作し、インスタレーションとして展示。昇華した後もどこかで再結晶化する素材の特性が、儚いだけではない、「見えないけれどどこかに存在する」という心強いメッセージを纏わせている。
続く音楽のセクションと体育のセクションは、映像作品で構成。7月4日までとそれ以降で異なる作品を上映するという。音楽では風景とチェロの音色が共鳴した美しい体験を与えてくれるツェ・スーメイ《エコー》、印象的な反復を用いながらジェスチャーが言語の効果的な代替となることを示したマルティーヌ・シムズ《身振りについての注釈》などがラインアップ。体育では、重量挙げポーランド代表たちが公共彫刻を持ち上げるクリスチャン・ヤンコフスキー《重量級の歴史》に注目。テレビ報道風でもあるキャッチーな映像に見える批判性を味わうべく最後まで鑑賞されたい。
ラストセクションは総合。本展において、科目による分類はあくまでアートの入り口であると改めて感じられるだろう。多種多様な参照点を持つアーティストであるヤン・ヘギュは、一室丸ごと使って新作群を展示。広くエネルギー循環を意識させながら、工業作品と手仕事などの拮抗する要素を複数取り入れ、細部には様々な学びを編み込んだ作品になっている。最後は大都会・六本木に位置する同館にふさわしく、都市空間を舞台にパフォーマンスを展開してきた演出家・高山明による美術館と外の世界を接続するような展示で締めくくっている。
同館館長の片岡真実は開催に際して「森美術館は開館以来、現代性と国際性を重視して『現代アートを幅広い層に』と掲げてきた。この原点に立ち返りながら森美術館20年間の歩みを振り返ったとき、個別の作品や表現とともにその背景にある文化や社会を解釈する場所、『世界を学ぶ教室』として現代美術館をとらえるようになり、このことが今回の展示につながっている」と述べた。
また本展は、同館が2005年から収集してきた約460点におよぶコレクションの一部を紹介する機会ともなっている。
参加作家のひとりである宮島は、本展を「エスプリの効いたテーマ。学校の科目を入り口にしながらも、詰め込み型・暗記型の現代教育を批判しているとも感じられる」と評価しつつ、次のように現代アートが持つ意義を語る。
「多様性の時代においては『わからないものが隣にいても違和感のなかたちで受け入れていく』といった現代アートの姿勢が要請されるだろうし、予測不能でクリエイティブな未来においては、従来型の経験知ではなく、現代アートが持つ直観知の重要性が高まるだろう。」