在りし日の石田三成はどんな顔?遺骨データから復元、描かれた絵画を展示…秀吉やその家臣の書状も
浅井氏攻めで功績をなした秀吉は天正元年(1573年)、織田信長から北近江3郡を与えられ、その後、琵琶湖岸に長浜城と城下町を建設した。
企画展は「秀吉以前の統治者 浅井長政」「長浜城主時代の秀吉と北近江」「秀吉の家臣 一門衆・子飼衆・直参衆(美濃衆・近江衆など)たち」「秀吉の家族」の4部構成。
羽柴秀吉 判物(はんもつ) 宮田光次宛」は、秀吉が家臣の光次に宛てた文書。400石の土地を与える旨が記されており、長浜城主時代の秀吉の家臣団掌握術がうかがえる。
「石田三成十三ヶ条村 掟(おきて) 多和田村宛」は、三成が領内の北近江4郡に出した掟書。年貢を納める農民の権利と義務を明確化し、納め方などをきめ細かに記してあり、三成がきちょうめんで、領内の事情に精通した有能な領主だったことを示唆している。
初公開の「片桐且元等書状 長束正家等宛」は、文禄の役で秀吉が出した朱印状への返答書。朝鮮出兵に参加した且元ら中小の大名たちが返答しており、日本軍の劣勢を巻き返すための船舶や兵糧、兵の数などに言及している。
「 絹本著色(けんぽんちゃくしょく)石田三成像 前田幹雄画」は、明治40年(1907年)に京都・大徳寺の三成墓所で発掘された遺骨の写真やデータを踏まえて復元した顔をもとに1980年に描かれた。科学技術を駆使し、在りし日の三成の 容貌(ようぼう)を再現している。
福井智英館長は「秀吉が開いた長浜市の歴史の多様性や魅力にふれ、450年前に思いをはせてもらえれば」と話している。
午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)。高校生以上410円、小中学生200円。会期中無休。問い合わせは同館(0749・63・4611)。