連載:庄司朝美「トビリシより愛を込めて」第12回(後編・最終回)「温かい場所」
きっかけは、ある展覧会の初日に彼が行ったパフォーマンスだった。
展覧会はポートレイトをテーマとして、ベテランから若手までジョージアの代表的なアーティストが出品していた。
その日、Sandroは展示室にかけられた自らの作品を取りはずし、同じ壁に「Art is alive and
independent」とジョージア語で書きつけた。居合わせた人は誰も問題のある行為だと考えなかったけれど、美術館の監督は警察に通報した。そしてそれが捜査へと発展することになったのだ。
ジョージアでは近年、美術館の職員や文芸賞の審査委員などが大量に解雇され、政府の息のかかった人間が組織の中枢に収まるなど、徐々に自由な芸術活動の場が狭められているという。Sandroのそれは直接的な文言ではないけれど、反政府的な文化人や組織に対する言論統制の流れを受けたアクションとして、抗議の意味が込められているととらえられた。
すぐさま美術館前ではデモが起こった。デモ隊の規模に対して過剰に配備された警察が館の前に立ちふさがる。明確に法にふれていない表現活動に対し、警察が動くような事態は初めてのことで、事件は多くのマスコミにも取り上げられた。
「この状況自体がジョージアのポートレイトである」。同じくアーティストであるSandroの両親は、インタビューで皮肉を込めて話していた。
それから2週間後、厚く思われた暗雲は急に晴れた。捜査の結果、警察は違法行為を見つけられずSandroは放免となった。立ち上がった人々の意志がデモや報道につながり、悪い流れを押し返したのだ。日本では見ることができない光景だろう、少しだけ彼らが羨ましかった。
Heavenphetamineとのライブで「Art is alive and
independent」というSandroの言葉を書きなぞったのは、その状況への連帯でもあり、また何かを変えられそうな力の感触を確かめてみたかったからだ。
私たちが2日後にトビリシを去ると伝えると、肉屋の親父のZuraはいまにも泣き出しそうな顔をした。それから思いついたようにぱっと目を輝かせ「それでいつ帰ってくるんだ?」。週に1、2度買い物ついでに世間話をする間柄ではあったけれど、珍しさも手伝ってアジア人の2人組は思いのほか深く心に居ついてしまったようだ。拙いジョージア語でどれほどのことを分かり合えたのだろう、きっと時が経って再会したときにはけろっと忘れられているような気もする。それでも、私たちがあるいっとき彼の日常の景色の一部になっていたのだとしたら、すごく素敵なことだと思う。
長い長い飛行は日本が遠い国だということを実感させた。
しばらくぶりにふれた新聞は、日本語がぎっしり敷きつめられている。ハリのある紙をめくっていくと、見慣れた国会議事堂前の大通りを民衆が埋めつくしている写真に出くわす。ジョージアにいるあいだ、何度となく見た意志ある群衆のうねりが、そこにはあった。かたわらに添えられた見出しには、「『外国の代理人』法案撤回 ジョージア 数千人の抗議デモ受け」(*1)。
喜びが全身の血流を加速させる。恐怖が支配していた過去へと逆行するような法案に、ここ数日の知人友人のSNSは抗議デモの話題一色で、その切迫感が伝わってきていた。暴力でもって従わせようとする権力に対し、何万人もの人が全力で抵抗している。人々は高圧の放水を受けて転倒し、濡れそぼって凍え、催涙ガスで目が腫れ上がっていた。それでもやめなかった。それどころか、黒い壁のように立ち並ぶ完全武装の警察部隊の目前で、若者たちは踊っていた。鳴り響くサイレンをテクノ音楽のように体に受け、クラブにいるかのように恍惚と体をくねらせた。軽やかに、ただひたすら踊っていた。
「No Russian
Law」を叫び続けた1週間の大規模デモは、ついに代理人法を廃案へと追い込んだ。すぐさま伝えた祝意に、「まだ未来は分からない」と悲観的なTamarはいうけれど、Sandroの件に続いてまたしても民衆の勝利だと思った。
「あっという間だったね」
久しぶりに会う東京の人は皆そう言う。けれど、私には長い1年だった。
1日1日を覚えている。あれは、たった1年の出来事だったのだろうか?
東京は何も変わっていないように見える。「この感じ」がすぐに皮膚へ張り付いて、慣れたリズムで日々が回転し始めた。久しぶりの自分の家は、少しよそよそしい。無防備にお腹を見せて眠るトビを撫ぜてやりながら、彼女がここにいることの不思議さにうたれた。湿度のせいで強く犬の匂いが立ちのぼる。トビは私よりも先に東京に馴染んだようだ。見るもの、聞くもの、成犬になってもとうとう完全には立ち上がらなかった耳を器用に動かして、すべてを受け止めようとしている。まるでトビリシに着いたばかりの私のように。
ジョージアでの日々は、それは非日常だった。非日常の中に入れ子状につくったかりそめの日常は儚い。かの地から遠く離れて東京に暮らせば、そのフラジャイルな輪郭はモロモロと散り消えてゆく。
トビがふりまく犬の匂いは、洗われることもなく自由に路上を生きるトビリシの犬たちを思い出させた。目をつぶり、瞼の裏で彼らのあとを追いかけていくと、あの街の排気ガスと焼きたてのパンの匂いが漂ってきた。
*1――「外国の代理人」とはスパイのことである。ロシアを真似た、外国とつながりのある人たちを監視するための法律で、海外から資金援助を受けて活動している個人やNGOなどの組織が対象となる。この法案によって表現や言論の自由を奪われることが危惧された。文化芸術の保護に消極的なジョージアでは、世界遺産ですら維持保存のための資金を外国に頼っている。国外で作品を販売し、助成を受けて活動するアーティストも対象となる。
01. 庄司朝美「Daily Drawing」より、2022年、窓に油彩 撮影=筆者
02. アートプラットフォーム「obscura」のInstagramより。国立美術館の壁にSandroが書いた「Art is alive and
independent」のメッセージ
03. Dezerter市場の一角。魚屋やスパイス屋が並ぶ小道 撮影=筆者
04. トビと筆者、毎夕の散歩道にて。トビリシの旧市街の街並みは水平垂直がない 撮影=田沼利規
05. 3月10日の朝日新聞の記事。写真付で大きく取り上げられていた 撮影=筆者