【古典俳諧への招待】おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉(かな) ― 芭蕉
俳句は、複数の作者が集まって作る連歌・俳諧から派生したものだ。参加者へのあいさつの気持ちを込めて、季節の話題を詠み込んだ「発句(ほっく)」が独立して、17文字の定型詩となった。世界一短い詩・俳句の魅力に迫るべく、1年間にわたってそのオリジンである古典俳諧から、日本の季節感、日本人の原風景を読み解いていく。第29回の季題は「鵜飼」。
おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉(かな) 芭蕉
(1688年作、真蹟懐紙(しんせきかいし))
芭蕉が長良川の鵜飼(うかい)を見物した際に詠んだ句です。鵜飼は鵜を使って鮎(あゆ)を捕る漁で、現在でも日本各地で行われる夏の風物詩です。「岐阜・長良川の鵜飼が評判になっている。まこと、その面白さは人が伝えてくれた通りで、私のような浅慮非才の者には表現しきれない。この情趣がわかる人に見せたいなあ、などと言いながら、暗い夜道を鵜飼見物から帰るわが身の名残惜しさをどうしたらよいだろう」という内容の前書(まえがき)があります。
この前書の後半と句自体は謡曲『鵜飼』を踏まえています。『鵜飼』は、禁漁区で漁をしたために川に沈められた鵜匠の亡霊が、鵜を使いこなす手際を再現する場面が見どころの曲です。最後は「鵜舟の篝(かが)り影消て、闇路に帰るこの身の、名残惜しさをいかにせむ」(鵜飼舟の篝火の光も消えて、暗いあの世へと帰るわが身の、名残惜しさをどうしよう)と結ばれます。
芭蕉は前書にこれを引いた上、発句にも「おもしろうてやがて悲しき」と、亡霊のせりふ「面白の有様(ありさま)や」と「悲しさよ」を取り込んだのでした。鵜匠が犯した殺生の罪の「悲しさ」も連想されます。
「謡の文句の通りの『面白の有様や』と感嘆して見ていると、やがて『悲しさよ』と思わせて終わる、能さながらの余韻こそが鵜飼舟の魅力だなあ」と、謡曲の言葉をそのまま用い、現実と演劇の心理をオーバーラップさせたのです。晩年の芭蕉の句にはこのように能を踏まえつつ感動を表現する句がいくつも見られます。
深沢 眞二
日本古典文学研究者。連歌俳諧や芭蕉を主な研究対象としている。1960年、山梨県甲府市生まれ。京都大学大学院文学部博士課程単位取得退学。博士(文学)。元・和光大学表現学部教授。著書に『風雅と笑い 芭蕉叢考』(清文堂出版、2004年)、『旅する俳諧師 芭蕉叢考 二』(同、2015年)、『連句の教室 ことばを付けて遊ぶ』(平凡社、2013年)、『芭蕉のあそび』(岩波書店、2022年)など。深沢了子氏との共著に『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編・秋冬編』(三弥井書店、2016年)、『宗因先生こんにちは:夫婦で「宗因千句」注釈(上)』(和泉書院、2019年)など。