サビ猫えきちゃん、「民芸」の作品すり抜けお出迎え…京都・河井寛次郎記念館
「にゃ」。箱階段の上からヒョイと顔を出し、ゴロゴロとのどを鳴らす。展示作品の間をゆったりとすり抜けて居間を横切り、臼をくりぬいた円形椅子のそばで寝息を立てる。
祖母と訪れたフランス人女性は「かわいい。昔からよく知っている友達の家に遊びに来た気分になりますね」と笑顔で話した。
記念館は1937年(昭和12年)に完成した木造2階建て民家。2階まで吹き抜けの板の間には囲炉裏があり、民芸運動で知られる寛次郎が手がけた家具や陶器が展示されている。
えきちゃんは、黒と茶色のまだら模様がトレードマークの雌猫だ。2016年、やせ細った姿で中庭に現れた。見かねたスタッフが食べ物を与えると、毎日姿を見せるようになった。人なつこい性格もあって来館者にかわいがられ、日がな一日過ごすように。中庭や登り窯を「パトロール」し、夜は敷地の寝床で休むなど、悠々自適の日々を送る。
同年にJR京都駅ビルの美術館「えき」KYOTOで、寛次郎の没後50年の展示が行われたことから、その名が付いた。
作品が傷つく恐れがあり、猫の出入りを許容する展示施設は珍しいが、不思議とえきちゃんは陶器を壊したり、家具に爪を立てたりすることはないという。
寛次郎の孫にあたる学芸員の 鷺さぎ 珠江さん(66)によると、寛次郎も生前よく猫を飼っていた。一人娘で珠江さんの母、須也子さん(2012年に死去)が幼い頃、家には真っ黒で、首にツキノワグマのような白い模様の「熊助」がいたが、ある日姿を消した。寛次郎は嘆き悲しむ須也子さんに「猫そのものの生命体は死なないから心配しない方がいいよ」と言ったという。
寛次郎は自宅を建てた時に余った木材にノミをふるい、左前脚を上げた猫の木彫(高さ約30センチ)を制作した。須也子さんは木彫りの猫を大切にし、その後も家には入れ替わり立ち替わり、猫がやってきたという。作品は記念館の絵はがきにも使われるなど人気作の一つになっている。
珠江さんは「えきちゃんを見るたびに、寛次郎が母に言った言葉を思い出しますね」と目を細め、「寛次郎は、『 暮(くら) しが仕事、仕事が暮し』の言葉通り、この空間で生活していた。えきちゃんの存在で、かつての日常を感じてもらいやすくなったのでは」と話した。
島根県安来町(現・安来市)出身。東京高等工業学校(現・東京工大)を経て京都市の陶磁器試験所で作陶を始め、木彫りや書でも多様な作品を生み出した。柳宗悦、浜田庄司らとともに、日常生活の道具に美を見いだす民芸運動の中心的役割を果たした。