究極の合理主義者でせっかち、時に嫌われ役…「昭和の五冠王」大山康晴の神髄
そんな大山に土をつけたのは、やはり升田だった。'56(昭和31)年に王将位を奪い、香車落ちでも負かした。後年、升田は自伝のタイトルを『名人に香車を引いた男』としたほど喜んだ。
負けた大山は、晩年に出した自伝にこう記した。
〈不覚にもポロポロと涙を落とした。くやしかった。腸がちぎれるほどくやしかった〉
朝日の嘱託だった升田は名人、九段位も獲り、一時的に三冠王となる。だが大山は、'58(昭和33)年に王将位と九段位を奪還。翌'59(昭和34)年6月には名人位にも復位した。以後は升田を寄せつけず、時に嫌われ役だった。
大山と6勝8敗の戦績を残した田丸昇九段(71歳)が振り返る。
「私が大山先生と初対戦したのは'79(昭和54)年ですが、ヌルッとした掴みどころのない軟体動物と指しているようで、気がついたら負けていました。
大山将棋は、いまの藤井将棋に通じるところがあります。
大山先生が復活を果たしたのは、振り飛車の受け将棋に開眼したことと、私生活でもタバコをやめたりタクシー乗車をやめたりと、節制に努めたことが大きかったのです」
大山は生涯1433勝、名人18期を含むタイトル計80期、A級(トップ10)在位連続45年の大記録を残した。