本当に一件落着なのか? ファーレ立川の岡崎乾二郎作品の撤去問題で見逃されたこと
今回の騒動は「日本におけるパブリックアートとは何なのか?」という問いを突き付けるものでした。
撤去問題を踏まえたうえで、作品そのものに迫った美術批評家の沢山遼さんによる批評「空間という葛藤」(群像2023年7月号)を再編集し下記に転載します。
※岡崎乾二郎さんの「崎」は「立」の所謂「たつさき」ですが、本記事では「崎」に統一しています。
ファーレ立川に設置された岡崎乾二郎の屋外彫刻《Mount Ida─イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)》(1994)を、作品の所有者である立川高島屋S.C.が、同社のリニューアルにともなって撤去するという計画は、同社が撤去計画の「撤回」を公にすることによって一転、保存が決定された。
昨年から水面下で進められてきた撤去計画は、作家の福永信氏がウェブメディア「REALKYOTO FORUM」に寄稿し昨年10月23日に公開された記事「ファーレ立川の岡崎乾二郎作品の撤去について{*1}」で第一報が出され、その後、美術評論家連盟が、撤去の撤回を求めて、翌2023年1月12日に要望書を出すに至った{*2}。要望書送付の5日後に返信された立川高島屋S.C.からの回答には、撤去計画を撤回する旨が書き付けられていた。
連盟が要望書を出したのは、福永氏が作品の危機的状況をひろく訴えてからおよそ2ヶ月半後のことである。連盟のアクションは、福永氏の行動に対してあまりに遅かった。私は、要望書の起草者の一人として文面の作成にかかわったが、自己批判も含めて、そう振り返らざるをえない。1月末には工事の仮囲いが行われる予定であったため、要望書の発出はきわめて切迫したタイミングでなされた。ゆえに、急転直下の撤去の撤回には安堵を覚えた。
が、これで一件落着といえるのだろうか、という思いは残る。要望書の起草にかかわりながらつねに頭にあったのは、東京大学の本郷・中央食堂に設置されていた宇佐美圭司の大作《きずな》(1977)の廃棄事件のことだった。岡崎は、美術作家としてデビューする以前から宇佐美と深い親交を結び、廃棄事件のあと、宇佐美の仕事を批評的に検討する作業にも必然的に携わることになった。廃棄事件をきっかけとしてなされた宇佐美の再評価には、岡崎の言説が大きく関与している。宇佐美の仕事を評価する作業が壁画廃棄事件以前になされていたら、《きずな》は廃棄されなかったかもしれない。そう考えても仕方がないが、問題は、作品がこわされるか否かに集約されるべきものでもない。作品がこわされることは、その作品が物理的に消滅する以上の事柄を含む。作品には、その作品がかかえた理論的な可能性が内包されている。とくに宇佐美の場合はそうだった。それを、批評的な問題といいかえてもよい。だから、作品に内在する、その理論的/批評的な問題が理解されず(誰も理解しようとせず)、放置されてきたがゆえに、作品は破壊されるのではないか、という気もする。
同じことが、ファーレ立川の岡崎作品にもいえるかもしれない。だから重要なのは、この作品が、彫刻として、パブリックアートとして、どのような作品であるのかを考え、語ることに尽きる。美術評論家連盟は、たんにこの彫刻が、高名なアーティストの作品であるから要望書を出したのではない。もしそうだとすれば、そこに批評はない。書いたのは、この作品とそれが置かれた場所や歴史との関係、パブリックアートとして都市空間のなかで果たす機能、作品の構造や形状がもつ意味についてだった。それを知ってもらうことが重要だったからである。逆にいえば、この作品が内包するさまざまな問題の所在が今後、忘却されたとき、同じ危機が訪れることは避けられない。であれば、撤去問題を通じてこの作品にかかわるなかで考え、あらたに把握した、いくつかの事柄を書きつけておくことは、批評家としてのつとめなのではないか。