久しぶりに本が読みたくなる書評 『文豪と俳句』(岸本尚毅 著・集英社)
さて、もとに戻って中世の「自由七科」をよく見てみると、文法と修辞がそれぞれ独立しているのが注目される。文法は厳格な言語の構造を学ぶのに対して、修辞は「言葉を飾る」ことを主眼として、いかに効果的に相手に自分の考えを伝えるかが眼目になっていた。だから言葉だけでなく、身振りや発声法なども含まれていたらしい。
この修辞学は近代に入ってからも、ヨーロッパの各国で中等教育の科目として残っていたようだが、学問をひたすら欧米から輸入していた明治の日本では、科目としての修辞学は採用されなかった。個人的な考えだが、それにはちゃんとした理由があったのだと思う。つまり、科目として修辞学を独立させなくとも、修辞が凝縮された文化遺産を日本が持っていて、それを国語・古文で学べる仕組みができていたのだ――そう、俳句と和歌である。とりわけ、わずか17文字で情景や情感を表現する俳句は世界最短の定型詩だが、それを味わい、吟味することによって、自然に修辞学を学ぶことができるのである。俳聖・松尾芭蕉の俳句を見ればそれがよくわかる。
「荒波や佐渡によこたふ天の河」
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」
いずれも名句の誉れ高い作品だが、この2つの句は修辞学でいうところの「擬人法」がさりげなく用いられている。人ではない天の川が横になって寝そべっている。また、物質的存在ですらない夢が枯野を駆けめぐるのである。
「閑けさや岩にしみ入る蝉の声」
これも、蝉の声がうるさいのに静か。また、岩に染み込むはずのない蝉の声が岩に染み入るという、大胆なレトリック(修辞)が使われている。
さらに注目されるのは、「サ行」が多用されていることである。「閑(しず)けさ」、「染(し)み入る」、「蝉(せみ)の声」といずれも頭韻として「サ行」が使われている。「サ行」は無声摩擦音といって、静かな音だ。英語では子音「S」で始まる音で、面白いことに「サイレンス(沈黙)」のような「静謐」を表す言葉もある。人差し指を唇に当てて「しぃー」とするジェスチャーもこれに類するもので、おそらく人類共通の音感なのだろう。これを考えると、芭蕉は「アイウエオ・カキクケコ」の五十音表を知っていたことになる。
何となく明治維新後に日本に導入されたイメージがある五十音表は、意外にもその歴史は古く、平安時代後期には天台宗の明覚という僧侶が「反音作法」というタイトルの五十音表を残している。母音はアイウエオ順だが、子音はアカサタナではなくアカヤサタナラハマワだった。この順にはちゃんとした理由があるが省略。要は、日本人は中国の音韻表などから、古くから子音と母音との関係を熟知していたのである。