【埼玉・さいたま市】詩人・立原道造の世界観を形にした〈ヒアシンスハウス〉。|甲斐みのりの建築半日散歩
24歳の若さでこの世を去った、大正生まれの詩人・立原道造を知ったのは、高校生の頃に父の書斎で。のちに自分でも詩集を手に入れて、カバンに入れて持ち歩いた。室生犀星(むろうさいせい)に師事し、堀辰雄や三好達治と同人誌をたちあげ、第1回中原中也賞を受賞するほどの輝きを放った、繊細で透明な言葉に魅了された。
上京してからは、道造が短い生涯の中で6年間の学生生活を過ごした東京大学本郷キャンパスの裏手にかつて建っていた〈立原道造記念館〉にことあるごとに通った。そこで見たのが、「ヒアシンスハウス(風信子荘)」と名付けられた理想の別荘の設計図。丹下健三や前川國男も在籍した、東京大学建築学科・岸田日出刀の研究室で学び、建築の奨励賞・辰野賞を3度も受賞した道造。大学の卒業設計は「浅間山麓に位する芸術家コロニイの建築群」。卒業後は石本喜久治の事務所に勤める建築家でもあった。
地元の建築家や文芸家ら有志の呼びかけで、さいたま市・別所沼公園内にヒアシンスハウスが竣工したのは、道造没後65年を経た2004(平成16)年のこと。別所沼畔は昭和初期に、詩人の神保光太郎はじめ多くの芸術家が暮らしていたところ。道造はそこに秘密基地めいた自分だけの居場所を築くべく、住所を印刷した名刺まで用意していた。
道造が描いた図面に基づき議論を重ね実現したヒアシンスハウスは、約5坪、畳にすれば10帖ほど。近くの友人宅で拝借すればいいと考えたのか水回りはなく、目立ってあるのは大きな窓とベッドと机だけ。目に見える形としては小さな空間だけれど、そこに身を置けば、道造自身や今も道造を慕うさまざまな人々の、大きな夢の結晶を感じる。
春の訪れとともに、久しぶりにヒアシンスハウスへ足を運び、まぶしい光を浴びてきた。