作家・池澤夏樹「週刊朝日には品位があった」〈週刊朝日〉
* * *
週刊朝日には品位があった。時事的な話題を新聞よりわかりやすく提供する。その横に上等な文章のコラムを配する。父親が通勤の途中で読んだものをそのまま家に持って帰れる。有名人のスキャンダル暴きもなければ盗撮もない。
戦後、この方針を定めたのは名編集長・扇谷正造である。「聖人も一枚めくれば金、女」を方針とした週刊新潮の斎藤十一とはおおいに違う。
週刊朝日二百ページには「週刊図書館」という十ページの書評欄があった。つまり教養主義だ。
丸谷才一がこの欄の担当筆者の一人になった時、もう扇谷はいなかったが、その精神は脈々とあり、丸谷はこれを拡大し、深化させ、日本の書評の王道を確立した(丸谷は後にこの方針をもって毎日新聞の「今週の本棚」を築いた)。
ぼくは一九九三年の一月から週刊朝日に「むくどり通信」というコラムを連載した。ムクドリは好奇心の強い鳥で、そこのところを借りたのだ。毎週これを書くのは楽しかった。夕方、おおきなビルの建築現場で何基ものクレーンが行儀よく同じ方を向いて止められている。そういう都会の風景を書いたのが初回。ぼくが元気だったこともあって週に一つの話題はいつも向こうから飛び込んできた。
一九九四年の四月に沖縄に引っ越したので話題はいよいよ賑やかになった。自然の風物、食べ物、祭り、そして米軍の横暴についてのいくつもの報告。政府の無策・無責任をからかい半分で糾弾することも多かった。
旅先で書くこともしばしばで、バリ島だったか、ファックスさえないホテルから国際電話でまるまる一回分を送稿したことがあった。あれは受け手と気が合わないとなかなかうまくいかない。担当は奥田明久君。愉快な男で、電話で「しゅーかんあさしの奥田です」と名乗る。東京弁なのだ。
「むくどり通信」は六年続けて終えた。何ごとにも終わりはある。読み返せばその間の自分史になっている。小さな資産である。(寄稿)
※週刊朝日 2023年6月9日号