初春の季題「絵踏」を詠む
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■今、見える絵踏
「絵踏」はキリスト教が江戸幕府によって禁じられていた時代に、キリストやマリアの描かれた「踏絵」を踏ませることによって、信者を見つけ出し、信仰を捨てさせるために行われてきました。キリスト教信者の多かった長崎の奉行所などでは、旧暦の新年にあたる今の二月ごろが実施の時期であったため、今も初春の季題とされています。
これまで兼題となったものと大きく異なるのは(これは、幸いなことですが)、現在、絵踏が行われておらず、誰も目にすることができない点です。一方で、私たちは絵踏に用いられた踏絵を観察し、自分で想像することができます。
踏絵あり埃(ほこり)の如(ごと)く古りにけり
阿波野青畝(あわの・せいほ)
踏絵は多く銅製や木製でした。「埃の如く」ですので、銅版の上に残る埃同様に古さを感じさせる踏絵とも、あるいは、摩耗(まもう)して損傷の激しい木製の踏絵とも考えられます。古びてはいながらも、確実にあった過去の姿が「踏絵あり」という句の始まりから、読み取れます。
切支丹(きりしたん)踏絵と箱の左書き
後藤比奈夫(ごとう・ひなお)
罅(ひび)はしりをりし踏絵の台なりし
京極杞陽(きょうごく・きよう)
踏絵の周辺もまた注目されます。箱に入れて保存されている踏絵。箱には、説明書きがされています。多くの人の自由を奪い、時には命さえ奪うきっかけとなった踏絵が、説明書きとともに箱に収められていることが、静かな違和感とともに描かれます
■『NHK俳句』2022年2月号より