久しぶりに本が読みたくなる書評 『WHAT IS LIFE? (ホワット・イズ・ライフ?) 生命とは何か』(ポール・ ナース著 /竹内薫訳/ダイヤモンド社)
かなり前に何かの本で、時代の最先端を研究する生命科学者は、意外にも宗教に深く帰依した人が多いと読んだことがある。生命体はため息が出るほど緻密にできていて、神を持ち出さないと納得できないことが多いからだという。
だが、この本を読む限り、著者のポール・ナースはそうは考えていないようだ。というより、はっきりと彼は「生命体は複雑な生化学機械である」と述べている。 徹底した無神論者ではあるが(学生時代にバプテスト派のキリスト教徒であることをやめている)、だからといって、冷徹で人間味のない人物ではない。それどころか、人間味豊かな愛すべき人物であることが、この本のあちらこちらでにじみ出ているのである。
この書籍は一般の読者向けの科学啓蒙書だが、サイドストーリーとして著者のこれまでの人生のエピソードも散りばめられていて、それがこの本をいっそう味わい深いものにしている。
イギリスの学者、それもノーベル賞まで受賞した人物に、人はどのような生い立ちを想像するだろうか。 両親ともオックスブリッジ(オックスフォード、ケンブリッジ両大学の総称)の教授、あるいは貴族か資産家の家系に生まれ育ったと思い込んでしまいそうだ。最近は緩みはじめたとはいえ、イギリスは先進国のなかでも階級社会の遺風が色濃く残っている国だ。 しかし、ポール・ナースは違う。
父親は缶詰工場の工員で、母親は清掃員だった。そして兄や姉は15歳で学校教育を終えている。典型的な労働者階級の出身なのである。それでは勉強が抜群にできたかというと、そうでもない。
彼は、大学入試に必要な外国語(フランス語)の試験に6回も落ちてしまい、自嘲気味に 「落第の世界記録」と述べている。 大学進学の夢破れた彼は、ある醸造所に併設された微生物学研究所の実験助手として働くことになった。幼いころから昆虫や生き物が大好きだった彼にとって、その仕事は天職といえるほど充実したものだったらしい。しばらくして、ある日、バーミンガム大学の教授がポール・ナースに、面接を受けるよう声をかけてきた。そして、その教授は面接での彼の深い生物学の知識に感銘したものか、大学にフランス語の落第に目をつぶるよう掛け合ってくれたのだった。
バーミンガム大学はイギリス屈指の名門国立大学である。そんな一流校が教授の口利きで入学を許されるなど、日本では考えられないことだ。不正入学だと糾弾されるだろう。だがイギリスは階級社会の遺風を残す一方で、融通無碍と表現できるほどの柔軟性をも見せるのである。そして、このバーミンガム大学の柔軟性は、三十数年後にこの大学にとって4人目となるノーベル賞受賞者輩出という栄誉をもたらしたのだった。
こういった懐の深さは、数値には表せないが一国の国力を示す。つまり、実力のある若者には、その経歴がどうであれ、その実力にふさわしい場を提供するという国民性もまた、将来の成長を約束する国力なのだ。戦前の日本もそういうところがあった。GDPや軍事力だけが国力ではない。
さらに生化学と細胞の本筋の合間を縫うようにつづられる人生のエピソードの中で、特に強い印象を受けたのが、著者がアメリカのロックフェラー大学の学長に就任するために 「グリーンカード」を申請したときの話だ。
出生証明書に両親の名前が記載されていないという理由で、申請は却下された。いらだちを覚えながら、出生証明書の完全版をイギリスから送ってもらったポール・ナースは、封筒を開けた瞬間、激しい衝撃を受ける。 彼の父と母は本当の両親ではなかった。祖父母だったのだ。 本当の母は彼の姉で、17歳で身ごもり、親類の家で出産し、その後、祖父母が自分たちの息子として彼を育てたのだった。シングルマザーが恥ずべきこととされていた時代のことである。「遺伝学者なのに、私は自分の遺伝について何も知らなかったのだ!」と彼は嘆く。
父親の欄にはただ横棒が引かれているだけ。そしてその時点で、経緯を知っている親族はみな亡くなっていた。逆にいえば、実の父親も自分の息子がノーベル賞を受賞したなど、夢にも思っていないだろう。