古伊万里の「破片」が里帰り 第二次大戦で破壊、平和の願い象徴
古伊万里は江戸時代に今の佐賀県有田町で生産が始まった磁器の総称。同県の伊万里港から積み出されたことからその名がついた。ウィーン近郊のロースドルフ城には、城主のピアッティ家が長年収集した「金襴手(きんらんで)」と呼ばれる豪華な装飾が施された古伊万里の大皿やつぼ、中国や西洋の磁器類が飾られていた。
ところが、第二次大戦の終戦前後に城を接収した旧ソ連軍が隠してあったコレクションを破壊。しかし、ピアッティ家は破片を捨てず、あえてそのままの状態で「陶片の間」として公開してきた。そこに込められたのは「戦争はすべてを破壊する」という警鐘と平和への願いだ。
九州陶磁文化館は2020年に東京で始まった巡回展の最終会場。27日には文化館で開会式があり、南里隆副知事が「城主の思いも感じてもらえれば」とあいさつした。展示のきっかけを作った「古伊万里再生プロジェクト」の保科眞智子代表理事は「姿は傷ついても心は決して傷ついていない。平和の希望につなげてほしい。来年はウィーンでも開催する予定だ」と話している。
文化館の所蔵品なども含め192点を展示。7月18日まで。一般600円、大学生300円。
◇あでやかな色彩、欧州の城にマッチ
ロースドルフ城で調査にあたった学習院大の荒川正明教授(日本美術史)の話 2018~19年に計4回、現地に入った。陶磁器の特性で、カケラになっても産地別、年代別に分けることができる。大量の陶片の7~8割が東洋で作られたもので、そのうちのおよそ3割が日本産、7割が中国産だった。古伊万里は17~18世紀の製品が主体で、明治時代初期に輸出された有田磁器もあった。
当時、古伊万里はオランダの「東インド会社」が運んだが、金と赤というあでやかな彩色による大型の皿や瓶が欧州における城や宮殿の装飾とみごとにマッチした。夜になれば、ろうそくの光の中ではより一層輝いて見えただろう。
ロースドルフ城は長きにわたり戦争が絶え間なく続いた地域にあった。ピアッティ家はその悲惨さを象徴するものとして破片を残してきた。300年以上にわたり、この一族が残してきた古伊万里をはじめとする歴史的遺産の陶磁器をぜひ地元の方々にも見てもらいたい。【西脇真一】