怒りの鉄槌――「ショート・ショート」(掌小説)こころざしの譜(62)
「こちらがご実家の古民家の解体で出てきた古材です」
ニッカポッカ姿の担当者が無造作に顎をしゃくる。懐かしい大黒柱や太い梁、鴨居、そして欄間。コップ酒を手にした父がそこにいて微笑んでいるような気がした。
「いいものですよ。老舗旅館や和風居酒屋もきっと飛びつきます」
横浜の大学での講義を終えた帰り道、転んで頭を強打したのは晩冬の夕方のことだ。少しの間、意識を失い、誰かがのぞき込んでいる気配がして目を開けた。すぐに救急車のサイレンが聞こえてきた。
救急病院のベッドでは頭痛がひどく左手はグローブのように腫れあがっていた。突然、くぐもった声が聞こえてきた。
こりゃ、骨折だな。いい歳だし問題は頭だ。脳内出血していたらアウトだぜ。それにしても今日はやたら忙しいなあ。あーあ、ついてねえ。
誰の声だろう?乱暴な言葉遣いだが、どうやら目の前の若い医者の胸のつぶやきみたいだ。そいつが面倒くさそうに説明を始めた。
「ああ、気が付かれましたか。頭、痛かったでしょう。念のため、CTをとっていただきます」
歩道の脇に杭があるなんて。真っ暗で見えやしない。体が宙に浮いて頭からマンションの壁に激突した。左手の小指は骨折の重傷だったが脳内出血は免れた。
「頭は異常なしですが、頭痛や吐き気があったらすぐ連絡してください。そうそう、幻聴も」と念を押した後、こんな本音が響いた。
脳震盪をおこしているんだ。セカンドインパクト症候群になったら、死ぬぜ。
「セカンドインパクト?」
思わず知らない言葉を繰り返すと、医師の口角には歪んだ笑みが張り付いていた。
不思議なことだが、転倒事故で頭がショックを受けた後遺症で相手のつぶやきや囁きが聞こえるようになった。あの夜遅く、アパートに帰った時の妻のあわてようといったら。
こんな時間まで一体どこをほっつき歩いていたのかしら。まさか女のところじゃないでしょうね。
「女?とんでもない。病院だよ」ニヤリとして言い返したら、ガマガエルを踏ん付けた時のような金切り声をあげた。
そういえば、あの事故はどこか妙だった。父の怒りの鉄槌かもしれない。そんな突拍子もない考えが浮かんだ。無口な父だったが、昔から理不尽な振る舞いには容赦がなかった。
ひょっとして、あのことか。私の実家は、地方の山奥にある。先祖は江戸時代からずっとそこに住んできた。今の家は築70年だが、父が近隣の山から立派な木を探しては建築資材にあつらえた堅牢な家だ。「いい木を探すのに苦労したんだ。この家は地震や台風が来てもビクともしないぞ」そんな自慢話をよく聞かされたものである。
2階の床板には伊勢湾台風で倒れた近くの八幡さまの巨大な松の木が使われている。思い入れのある実家ではあるが、長男の私は生活基盤はあくまで東京。空き家は処分するしかないとつらい決断をしたばかりだ。両親は私が定年になれば故郷に帰って来ると最期まで首を長くして待っていたが、期待を裏切ってしまった。それでも、金箔を貼りなおした仏壇ともども家屋敷を手放すなど想像すらしなかっただろう。今、生きていたら怒って、拳固が飛んできたに違いない。
多少のケガでは大学を休むわけにもいかないので、木曜日、電車に乗って出かけた。いつの間にか眠ってしまったらしい。読みかけの文庫本がパタッと落ちる音で目が覚めた。目的の駅はとっくに通り過ぎ、見慣れない景色が車窓を飾っている。ちょうど電車が止まったのであわてて降りる。真鶴という表示が目に入った。
偶然にも志賀直哉の「真鶴」を読んでいたところだった。真鶴の漁師の子が弟と小田原まで下駄を買いに行くという物語で、その子は法界節の流しの女の乗った列車が脱線するのを空想する。不吉な幻想は作家自身が電車にはねられた経験と関連しているのかもしれない。
事故後、温泉治療中に志賀が書いたのが「城の崎にて」で、大学の文章論の授業で何度か教材に取り上げている。
いま読み返すと、身に染みる。一歩間違えば、墓石の下にいたかもしれないという心境も私とよく似ている。土の中で仰向けに寝て、隣を見ると父母や祖父母が何のかかわりもなく横たわっているというあたりの描写は身震いをするほどさみしく哀しい。