隈研吾の手がけた建築に誕生した、震災の記憶を受け継ぐクリスチャン・ボルタンスキーのアート。
2011年、東日本大震災で被災した宮城県南三陸町。その志津川地区では隈研吾のグランドデザインに基づいて復興計画が進められている。このエリアで10月1日に新しくオープンした〈南三陸311メモリアル〉は、建築設計を隈研吾が手がけ、クリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーションが恒久設置される施設だ。
〈南三陸311メモリアル〉の隣には、隈の設計で2013年に〈南三陸さんさん商店街〉が、2020年には近くを流れる八幡川をまたいで〈震災復興祈念公園〉と〈南三陸さんさん商店街〉を結ぶ〈中橋〉が完成した。隅はここで、海と山に向かう二つの直交した軸を想定した。〈南三陸さんさん商店街〉は海へ、〈中橋〉は山への軸線に沿って作られたものだ。
「二つの軸線によって海と山とをつなぎ直したいと思ったんです」と隅はいう。
〈南三陸311メモリアル〉は、〈南三陸さんさん商店街〉を通る、海への軸線の延長上に作られた。船を思わせる建物の中央には、〈南三陸さんさん商店街〉に向かって通り抜け可能な通路がある。
「〈南三陸311メモリアル〉は〈南三陸さんさん商店街〉の鳥居のようにもなっています。建物の形には船の舳先から復興の様子を見てほしいという意図を込めました」と隈は語る。
この〈南三陸311メモリアル〉は震災の記憶を受け継ぎ、訪れた人にさまざまなことを考えるきっかけを提供することが目的だ。ここでは被災した建物などのモノだけでなく、人々の思いや語りにも重点を置いており、南三陸町民のエピソードや証言が展示パネルや映像となって展示されている。交流のためのスペースやプログラムもあり、それぞれに感じたことを話し合う機会を設けている。
ここに設置されたクリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーションは、《Memorial》というタイトルだ。昨年、惜しくも逝去した彼が残したプランに基づき、制作されている。ボルタンスキーは東日本大震災直後の三陸沿岸を訪れ、喪失の光景を心に刻みつけた。その記憶がこの作品に結実している。
素材であるビスケット缶(箱)は南三陸町の工場で作られたもの。エイジング(錆び)に至るまで、これまでボルタンスキーの作品制作をサポートしてきたアトリエ エヴァ・アルバランと協働して完成させた。震災で亡くなった一人ひとりの命と自然、そして時間について思考を続けた、生前のボルタンスキーの思いを見事に造形化している。