高野秀行×伊藤雄馬 辺境で見つけた本物の語学力
(『中央公論』2023年7月号より抜粋)
高野》伊藤さんが書かれた『ムラブリ』、帯に推薦文も寄せさせていただいたので、何度も読んで、とてもインパクトがありました。
伊藤》ありがとうございます。ムラブリはタイやラオスの山岳地帯で狩猟採集をして暮らしている少数民族です。彼らが話すムラブリ語は文字を持たず、その消滅が危ぶまれる「危機言語」に指定されています。
高野》僕は1992年にムラブリに会ったことがあるんです。どんな言語を話すのかという興味で訪ねました。そのときにムラブリは、近隣のモン族のキャベツ畑で働いたりしていて、結構定住している印象を持ちました。
伊藤》それは意外です。
高野》日常的に使う基礎的な単語をいくつか聞いて終わったんですが、ムラブリの伝統的な生活や独自性は、タイ人と同化してしまい、ほとんど終わっていると思ったんです。それが本を読むと、全然そんなことないんですよね。
伊藤》案外残っています。
高野》森の中での遊動生活はあまりしていないけれど、定住してもムラブリの精神性をゆるぎなく持っていることが興味深かったです。
マレーシアの狩猟採集民プナンの研究をしている人類学者の奥野克巳さんが『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』という本を書かれていて、似ていると思いました。本来の遊動的な狩猟採集をしていないにもかかわらず、メンタリティが狩猟採集民のままで、定住民のメンタリティとは全然違う。それはムラブリにも感じました。
伊藤》言語学的な部分で何かフォーカスされたことはありましたか?
高野》興味深かったのは、ムラブリ語には「物」を指す言葉が複数あること。代表的なものに「グルア」と「ドゥー」の2種類があることが、ムラブリの所有の概念を表していておもしろかったです。
伊藤》「グルア」が主に衣類を指していて、「ドゥー」は単独では使わず、少し抽象的に「何か」を指しています。彼らの「物観」が表れていて、僕的にはすごく萌えポイントです。(笑)
高野》現地でそういう言葉に出会うと、どういう使い分けをしているのか、すごく気になります。所有の概念で言うと、「私のお父さん」の「の」もおもしろかったです。
伊藤》「オォ(私)ディ(の)ジオン(父)」と表され、日本語の「の」にあたるのは「ディ」なんですけれど、この「ディ」は基本的に身体部位や親族にしか使えません。日本語で「の」と置き換えますが、ムラブリにとっては、「ディ」は所有というより、全体と部分の関係を示しています。「オォ(私)ディ(の)ジオン(父)」は、親子を自分も含む全体と捉え、お父さんをその部分として示しているんです。ですから例えば「私は米を持っている」は「オォ(私)プ(持つ)ユーック(米)」、「米がある」は「プ(ある)ユーック(米)」などと表現しますが、「私の米」とは、ムラブリ語では言えません。物の所有関係を示すときは、タイ語の「の」にあたる「コォーン」を使います。そしてタイ語の語順に変わるんです。
高野》そこだけタイ語が入って語順が入れ替わる形なんですか?
伊藤》日本語の「の」の部分だけタイ語になって「ユーック(米)コォーン(の)オォ(私)」と語順も変わります。
高野》それはすごいですね。
伊藤》不思議なんです。僕の感覚だと、日本語の「の」で捉えてしまうので、ムラブリ語の「ディ(の)」でもいいのではないかと思いますし、タイ語の「コォーン(の)」に置き換えたとしても、語順はムラブリ語のままでいいのではないかとも思うんです。けれどムラブリは「違うに決まっているだろう」と言うんです。それは聞いてみないとわからないことですし、なんでそうなのかと尋ねても、「そうだからそうだとしか言えない」と答えられます。
高野》ネイティブの反応はそうですよね。
伊藤》だからその成り立ちを言語学者がいろいろと解釈するわけです。
高野》伊藤さんが、ムラブリ語を「真に受ける」と書かれていて、とても共感したんです。言葉を習っていると、おかしいと思うことがたくさんあるでしょう?
伊藤》あり過ぎます。(笑)
高野》そこを理屈で「私のお父さん」は言えるのに、なんで「私の米」とは言えないの? とか、おかしいとは思うんだけれど、それを言っても始まらないから、自分の意見や違和感はあきらめて、ありのままに受け止めるしかないんです。それは僕もしていたことで、その通りだと思うんですけれど、伊藤さんがムラブリの生活にまで影響を受けて実践していくのには驚きました。
伊藤》鵜呑みにして生活が変わったようにも見えるんですけれど、僕の場合は元々そういう部分もあったのかもしれません。今も雪駄(せった)を履いていますけれど、昔から裸足が好きでしたし、時間を守るのも得意ではありませんでした。それまで社会の中で学んできたものがはがれるきっかけになったという感じです。
高野》伊藤さんは大学生のときから社会に適応しようという意識がなかったみたいだし……。(笑)
伊藤》僕としてはあったつもりだったんですけれど、周りと比べたら全然ないんだということは、執筆中に気がついて……。だから元々今の社会とは相容れないところが自分にはあったと思うんですけれど、本を書いて振り返る機会を得て、ムラブリと出会ったことが大きなきっかけになったのだと思いました。
高野》出会うべくして出会ったんでしょうね。