笠井爾示×町口覚×野村佐紀子「同世代の写真家二人と造本家、30年の付き合いの中で育まれた本、そして関係性」
―3人は、遡ると1990年代からのお付き合いになりますか?
町口覚(以下、町口):そうですね。僕が1995年に24歳で『40+1 PHOTOGRAPHES PIN-UP』という写真家を集めた写真集を自分で出版したとき、一緒にやった40人の写真家の中に二人は入ってますから。
笠井爾示(以下、笠井):出会いはそれより前だから、もう30年ぐらいか?
野村佐紀子(以下、野村):そうなりますね。
―町口さんが爾示さんの写真集を手がけられたのは、今回の『Stuttgart』が20年ぶりになるということですが。
町口:そうなんです。2001年の『波珠』(青幻舎)以来だから。
野村:あれ以来?
笠井:そう。写真集は20年ぶりだけど、年に何回かはずっと会ってたよね。
町口:うん。一方で、佐紀子とは10冊も作ってるんですよ。僕の出版してるMレーベルの最初が大森(克己)さんと佐紀子だから。
野村:うん、そうだね。
―野村さんの本が95年から10年間空いたのはどうしてですか?
町口:その間の10年は日本の出版事情というのが大きく変化して、特に2000年代に入ってからは、自分で本を作る環境をデザインしないとマズいと思って、2005年に自分でレーベルを立ち上げたんです。それで佐紀子に声を掛けて、金沢の男性ヌードを撮りおろした展覧会に合わせて作ったのが『tsukuyomi』(MATCH and Company / 2005年)。その間も、爾示とは作品的なものはやってないけど、仕事はしてたと思います。
笠井:おれも町口とは、チラシの写真とかはやってたし、それこそ親父(舞踏家の笠井叡氏)の「花粉革命」という公演のポスターの写真を撮れとかいわれて、撮ったりしてたんだけどね。あれは2001年だから。
町口:『波珠』をやる前から、爾示には叡さんを紹介されて、ダンスカンパニーの公演ポスターのデザインなんかをするようになってたんです。それまで僕は舞踏とは特に縁がなかったんだけど、なぜか叡さんとはすごいウマが合っちゃって、実は爾示より、叡さんやプロデューサーでもある母親の久子さんとのお付き合いが濃くなっていったんですよ。
笠井:そうそう。
町口:佐紀子とは、2008年に同時期に出した『黒闇』(Akio Nagasawa Publishing)と『夜間飛行』(リトルモア)が印象深い仕事かな。
野村:あのときは濃かったね!
町口:この年に僕はパリフォトに初出展したんですけど、『黒闇』を持って行ったら反応がすごく良かったのを覚えてる。そのあと、東日本大震災後にまた僕のレーベルで、『Nude/A Room/Flowers』(MATCH and Company / 2012年)を出して、2016年からは毎年のように本を作っています。
野村:そうだね。でも、爾示さんとは、なんでこんなに間が空いたんですか?
笠井:たまたまだよ。まあ、町口はすごい真面目に本を作ってるじゃない?おれはどっちかというともう少し写真集では遊びたいし、いかがわしさが写真に欲しいと思ってるので、そういうものは町口には頼めないなっていうのはあったかな。