解体開始の中銀カプセルタワーに魅せられた元住人がつづる記録 「雨漏りする10平米、無限に広く思えた」
中銀カプセルタワービルは、稀代の建築家・黒川紀章によって設計された集合住宅。汐留や新橋との隣接エリア、銀座8丁目に位置し、しばしば「ちゅうぎん」と読まれるが、「なかぎん」が正しい。
地上13階および11階建てのツインタワービルで構成され、直方体のカプセルが合計140個取り付けられており、各々のカプセルは独立した居住空間となっている。
見た者に強烈なインパクトを残す凸凹の建物には、コンセプトが大きく2つあった。
ひとつは、街そのものを活かした都市型ライフスタイルの提言。住宅は広さではなく、設備と立地こそに価値がある時代と謳ったカプセルは、ひとつ10平米と非常にコンパクトな造りである。デフォルトの設備はユニットバス、ビルトイン式の冷蔵庫、空調。オプションとしてテレビやステレオなどが付けられた。
ビジネスマンをターゲットとしたため、それに合わせたサービスも充実。当初はルームキーパーや「カプセルレディ」なる秘書サービスまで存在していた。さらにはコピー機やタイプライターの貸し出しコーナーも。コワーキングスペース付きシェアハウスさながらの環境が、大都会・銀座に整えられていた。
そしてもうひとつが、建物の新陳代謝(メタボリズム)だ。各々のカプセルは、たった4つのボルトで支柱に取り付けられている。四半世紀に一度、カプセルを取りはずし、工場で新しく造られたそれと交換するための造りだった。
古い細胞と新しい細胞を新陳代謝する生命体の仕組みを応用した、新たな時代や環境に順応していく建築のかたちを構想しており、中銀カプセルタワービルの建物自体は、およそ200年はもつ算段であった。しかし結局、カプセルは一度も交換されないまま、着々と老朽化が進んでいった。
それでも、いや、だからこそなのか、ますます中銀カプセルタワービルは人々の心を掴んで離さなかった。いつ終わりが来てもおかしくないこの建物を、最後に目に焼き付けようと訪れる人や、入居希望者が後を立たなかった。無論、私もそのひとりである。