大道晴香 触れ得ない存在となった現代のイタコ 失われた「死者の声を聞く日常」
(『中央公論』2022年5月号より抜粋)
「巫女(みこ)」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。白い小袖に緋袴(ひばかま)を着けた、神前で奉仕するうら若き女性――多くの人が思い浮かべるのは、やはりこの姿ではないだろうか。私たちが日頃、巫女と接する機会といえば、初詣などの折にお守りやおみくじを求める時、神社を参詣する時が定番だろう。ところが、そんな「神社の巫女さん」とは異なる、もう一種の巫女が存在している。それが今回取り上げる、イタコと称されるような女性たちである。
イタコは、青森県から岩手県北部・秋田県北部の地域に根差してきた、在野で活動する巫女だ。テレビなどのマスメディアを通じて、知っている人も少なくないだろう。日本三大霊場の一つに数えられる青森県の霊場恐山(おそれざん)と結びつけられ、イタコはこの半世紀以上にわたって、マスメディアに取り上げられ続けてきた。そんな彼女らのもとには、周辺地域のみならず、日本全国から多くの人がやって来る。理由は一つ。今は亡き大事な人の声を聞くため、だ。イタコを特徴づけるのは、死者の霊魂を自らの身体に憑依(ひょうい)させて語らせる、その特異な能力である。イタコの参集する恐山の夏と秋の祭典では、例年、故人の声を求める来訪者たちが長い列を形成し、祭りの風物詩となってきた。
とはいえ、もともとイタコは特定の地域で受け継がれてきた、極めてローカルな文化である。では、いつ頃から、なぜメディアを賑わせることになったのだろうか。ここには、「隠された(もの)」という意味での「オカルト」的なものの見方が、少なからず関わっている。
日本民俗学の祖として知られる柳田國男は、ミコと呼ばれるような、神に仕える女性宗教者を二つのタイプに分類していた。一つは、神社に所属して神楽(かぐら)や湯立てなどの神事に携わる者。そしてもう一つが、諸国を旅していた遊行(ゆぎょう)の者たちであり、イタコはこの後者の末裔に位置している。神社の一員か否か、定住か非定住かも大きな違いではあるが、二つのミコを区別する最大の違いは、神霊の声を聞くことができるかどうか、という能力の点にある。
神社に属する神社ミコに対して、もう一方のミコは口寄(くちよせ)ミコと呼ばれている。口寄せとは、死者をあの世から呼びだし、その言葉を生者に伝える宗教的な技法を指す。ミコが祭文を唱えると、依頼者の望んだ死者の魂がやって来る。すると、霊魂がミコの身体に乗り移り、ミコの口を借りて生者に語りかけるのである。
他界の存在と直接交渉する職能者は、人類学や宗教学の領域では「シャーマン」と総称されてきた。シャーマンが交渉する対象としては、死者の他に神が挙げられる。日本のミコには、神の憑依によってお告げをもたらす託宣(たくせん)の儀を行う者が広く見受けられる。いわゆる、神がかりと呼ばれる状態だ。口寄ミコの場合も、死者の口寄せと並行して託宣を行っている。一方で、死者(ホトケ)との交渉に関しては、儀礼を営む者が限られてくるため、これが口寄ミコの特徴となっている。
周知のとおり、神社ミコには現在、シャーマン的な能力が備わっていない。こう述べると、イタコは神社の「巫女さん」とは全く別種の、異質な存在のように思われるかもしれない。だが、そもそも柳田は、2種類のミコを同一の根源より派生した存在と捉えていた。長い歴史のなかで、社会体制の変化とともに、その機能と価値を変化させてきたという柳田のミコ史観は、ここ半世紀にわたるイタコの歩みを捉えるうえでも示唆的である。