弘兼憲史×楠木 新 60歳からは身軽で新しい自分へ――「人生の仕上げ」の秘訣を語る
(『中央公論』2022年10月号より)
楠木》弘兼さんは著書の中で、60歳を過ぎた頃から「身辺整理」を始めた、と書かれています。
弘兼》60歳といえば、健康に生きられるのは長くて20年です。そんな貴重な残された日々を、若い頃と同じように重い荷物を背負ってゼイゼイ言いながら生きていくのは、もったいない。物理的にも精神的にも身軽になって、人生の起承転結の「結」を歩んでいこう、とそんなふうに考えたわけです。物を捨てたりする作業自体、歳を取るほどきつくなりますから、還暦くらいが始めどきでしょう。
楠木》何から手をつけたのですか?
弘兼》実は年賀状なんですよ。すっぱりやめました。それこそ貴重この上ない年末の休みを、儀礼的なやり取りに費やすのはもう耐えられない、と。結果的に、それで不都合はありませんでした。
楠木》確かに、毎年何百枚も年賀状を書くのは、結構な重荷ですよね。ただ、やめるのも勇気がいる。
弘兼》そうですね。今の若い人はLINEで済ませても平気だけれど、我々世代になると、いろんなこだわりもありますから。「手ぶら人生」にチェンジするのは、そういう思い入れのようなものとの闘いでもあるので、一筋縄ではいかないわけです。
実際、本を捨てるのにも苦労しました。ふと思い立って整理しようとしたら、学生時代に使った民法の教科書が出てきたんですよ。見たら、あちこち赤線が引いてあって、びっしり書き込みもある。あの頃は勉強したんだな、とノスタルジーに浸っているうちに、あっという間に時間が経ってしまうわけです。
でも、どう考えても、これは「不要な本」です。こういうものから、容赦なく捨てる。買ったけど途中までしか読んでないような本は、今後も読まないはずだから、処分する。読みたくなったらネットで古本を買えばいい、くらいの割り切りが大事だと思うのです。
楠木》私もこの3月に大学を退任して、まさにその本の処分の問題に直面しました。お話があった学生時代の教科書なんかも含めて、研究室に置いていた膨大な量の書籍をどうするか。私は本に付箋を貼る癖がありまして、再読に便利だし、なんだか愛おしさもある。(笑)
弘兼》どうしたんですか?
楠木》最初は倉庫に預けようかと思ったのですが、お金がかかる上に、保管したままになるだろうなと思いました。最後は面倒くさくなって、読みたくなれば図書館で借りればいいし、欲しくなったらネットで買えばいい、と全部処分しました。困ることは、ほとんどありません。
ただ、一つだけ心残りがありまして、本棚に並んでいたすべての本を写真に撮っておけばよかったな、と。そうすれば、私自身の「蔵書集」を残すことができました。
弘兼》それはいいですね。これから処分しようという人にはお勧めしたい「本との別れ方」かもしれません。