【書評】オールスター級戦国武将33人の「名ぜりふ」:呉座勇一著『武士とは何か』
『応仁の乱』(中公新書)の爆発的ヒットで注目される気鋭の歴史学者が、「武士とは何か」と真っ向から問うた好著である。一般的に知られる『葉隠』や『武士道』のイメージは、泰平の世となった江戸時代に生まれたもので、「忠義」は戦国の世を生き抜いた本来の武士の行動原理ではないと論考する。本書は歴史小説や歴史ドラマを鑑賞する上で、格好の手引書ともなる、お薦めの一冊。
著者は1980年生まれ。東大文学部卒後、同大学院で博士号取得、日本中世史を専攻し、現在、信州大学特任助教。本書では、章ごとに源義家から北条義時、足利尊氏、斎藤道三、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など33人の武将の遺(のこ)した「名ぜりふ」をひも解いていき、本来の武士とはどういうものなのか、その本質を説き起こしていく。
まず、武士の発生は、京都の朝廷を守る武官という説が有力だが、源頼朝の元に馳せ参じた東国の武士が「都の武士」を駆逐した鎌倉時代以降は、身分とは別に「実戦で敵を圧倒する暴力こそが武士にとって不可欠であった」と説く。
そこでは、主人に対して従者が絶対的に服従するという関係は例外的で、主人による「御恩」(恩恵)がなければ従者は「奉公」しない。彼らの目的は領地を与えられることで得られる一族の繁栄であったのだ。だから、見返りがなければ謀反の側につくことも日常茶飯のことだった。
しかしながら、独立心旺盛な中世武士のもう一つの特質は、「目先の利益よりも誇りを重んじる、強烈な名誉感情を持っていた」という点。何故か。「それが長期的利益につながるからである。武士としての強さを周囲に示すことが、自身の財産を維持拡大する最良の術であった。逆に武士としての面子を失えば、自身の財産を他者から守ることができなくなる」というわけだ。
「中世社会は自力救済社会」であり、従って、敵にやられたら自力でやり返し、名誉を守らなければならないが、当然、報復の連鎖を招く。それが応仁の乱を経て、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康へと戦乱の世が続いていくことになる。