なぜ若者たちは映画を早送りで観るのか
映画やドラマなどの映像を早送り再生しながら見る「倍速視聴」は、主に10代から20代前半の若者の間では以前から当たり前だった。話数の多い連続ドラマを「話ごと」飛ばしたり、結末を先に知るためにネタバレサイトを読むといった行為の背景には、コスパ(コストパフォーマンス)を求める人が増えたことが影響しているという。
著者曰く、若者は回り道を嫌うらしい。何十本、何百本もの作品を観たり読んだりすれば、ハズレの作品に出合うこともある。その過程で鑑賞力が磨かれて博識になり、やがては生涯の傑作に出会うこともあるだろうが、彼らは膨大な時間を費やして作品と向き合うというプロセスを踏みたがらない。「駄作を観ている時間は彼らにとって無駄だから。無駄な時間をすごすこと、つまり時間コスパが悪いことを、とても恐れている」のというのである。
ただ、こうした倍速視聴の習慣はけっして若者だけのものではなさそうだ。著者は映画やドラマなど、映像作品を含むさまざまなメディアの娯楽がいつの間にか「コンテンツ」と総称されるようになったことを挙げたうえで、コンテンツという呼称は、作品を「鑑賞」するというよりも「消費」するに近しい印象を受けると指摘する。そうした意味で、短時間でできるだけ多くの作品を消費することが、視聴満足度に組み込まれうるとの指摘は興味深い。
「『作品』の良し悪しの基準をあえて設定するなら、『鑑賞者の人生に対する影響度』とでも言うべきものになるだろう。それは数値化できず、他の鑑賞者にまったく影響をおよぼすことはない、という意味において、再現性も皆無だ。」
鑑賞目的ではなく、情報収集として作品を観る。こうした態度は、書店で話題のベストセラー本を前に立ち読みする感覚に近い。とはいえ、著者も指摘するように10秒間の沈黙シーンには、10秒間の沈黙という演出意図がある。
「そこで生じる気まずさ、緊張感、俳優の考えあぐねた表情。それら全部が、作り手の意図するものだ。そこには9秒でも11秒でもなく、10秒でなければならない必然性がある(と信じたい)。」
今回のコロナ禍で定額制動画配信サービスやYouTubeが自宅で楽しめる唯一の娯楽だったという人もいるだろう。稲田豊史氏の『映画を早送りで観る人たち』は、映像や出版コンテンツの受容を通して、現代の消費社会の実態が浮かび上がってくる一冊だ。
馬場紀衣(ばばいおり)◎文筆家。ライター。東京都出身。4歳からバレエを習い始め、12歳で単身留学。国内外の大学で哲学、心理学、宗教学といった学問を横断し、帰国。現在は、本やアートを題材にしたコラムやレビューを執筆している。舞踊、演劇、すべての身体表現を愛するライターでもある。