77年ぶりに遺品もどる 京都霊山護国神社
式には、遺族ら約100人が参列。正午に黙禱(もくとう)し、先の大戦で命を落とした戦没者に哀悼の意を表した。
8歳で沖縄戦を体験し、毎年追悼式に出席しているという山科区の小澤高子さん(85)は「戦争がどれだけ怖いものか目にしてきた。子供や孫に体験させたくない」と願った。
式では、府出身で沖縄で戦死したとみられる糺(ただす)徳一さんの遺品が77年ぶりに遺族の元に返還された。遺品は金属製の水筒で、平成14年に沖縄南部の摩文仁(まぶに)(糸満市)にある壕(ごう)で遺骨収集していた国吉勇さんによって発見された。壕は旧陸軍第62師団長の藤岡武雄中将が自決した場所とされる。
数年前に国吉さんは収集活動を引退。ボランティアとして沖縄で遺骨収集活動を行うフォトジャーナリストの浜田哲二さん(59)が万年筆や飯盒(はんごう)など名前が記された遺留品約200点を託された。
水筒もそのうちの一つで、浜田さんは妻、律子さん(57)とともに、表面に刻まれた「タダス」の文字を頼りに、沖縄県平和祈念資料館にある戦没者のデータベースなどを調査。該当者は糺さん1人しかおらず、京都霊山護国神社などを通じて遺族を発見した。
この日は、徳一さんのおいの妻、博美さん(72)=伏見区=に律子さんから水筒が手渡された。徳一さんの遺骨や遺品は一切戻っておらず、博美さんは77年ぶりの帰還に「今の時期にと驚いた。不思議な気持ち。もっと傷んでいてもおかしくないはずなのにきれいなままですね」と語り、水筒を見つめた。水筒は仏壇に供えるという。(木下倫太朗)