45年前の「京女節」垂れ幕再復活 伝統つなぐ応援合戦
季節外れの真夏日となった4日、同校のグラウンドは熱気に包まれていた。応援合戦は55年前から続く学年対抗の伝統種目。袴(はかま)姿の応援団の指揮の下、各学年約300人が音楽や踊りに合わせてパネルで人文字や模様を作成し、その美しさを競った。
閉会式後に3年生によるアンコール応援が行われると、校舎屋上から「京女節」と墨書きされた垂れ幕(幅1・1メートル、長さ15メートル)がおろされた。新校舎建設を控え、現在のグラウンドでは最後となる今年の体育祭。3年の堀池風花さん(17)は「OGの思いを引き継ぎたい」と笑顔で話していた。
■歌い継がれる「京女節」
半世紀以上続く京都女子高伝統の応援合戦は、さまざまな応援歌で彩られている。実在する歌に生徒らが歌詞をアレンジしたもので、ペギー葉山の「学生時代」のメロディーを基に作られた「女坂」は現在も歌い継がれている。
「京女節」もその一つ。昭和52年に「学年みんながひとつになる歌を作りたい」と3年の応援団員らが中心となり作成したという。51年の大河ドラマ「風と雲と虹と」の主題歌のメロディーに思いを乗せた。
最後の1節にある「我ら京都女子校生」は、「京女生」であることを強調。応援団員として京女節の作成に携わったOGの一人は「自分たちが京女の学生であることを伝えたいとの思いで作成に携わった」と話す。
初のお披露目となった52年の体育祭では、2日前に団員が徹夜して作ったという「京女節」の巨大垂れ幕が校舎を覆った。垂れ幕が登場したのはその後数年のみだったが、京女節は脈々と受け継がれてきた。
現在の生徒らがこうした体育祭の歴史を知るきっかけとなったのが新型コロナウイルス禍だ。令和2年の体育祭中止を機に改めて体育祭の歴史を知ろうと、OGに〝取材〟を重ねた。その過程で明らかになったのが、垂れ幕の存在。応援団員として垂れ幕の作成にも携わった間庭貴和子さん(63)=岡山県=が自宅で保管していることが分かり、再披露が決まった。
4日の体育祭当日、母校を訪れて垂れ幕を眺めた間庭さんは「昔を思い出して感動した。今の学生とこれまでの京女の卒業生みんなの思いが一つになった瞬間」と振り返り、再披露を実現させた一人で3年の高橋佑季さん(18)は「伝統の重さを感じる」と話していた。(木下倫太朗)