書評:絵画の組成を解きほぐすための手引き。岡﨑乾二郎『絵画の素 TOPICA PICTUS』
後記によると、少年時代の著者は絵よりもむしろ粘土細工を得意としていたらしい。妙に合点がいくのは、岡﨑の手がける絵画作品が、こねられ延べられる絵具の可塑性を十全に生かしているためばかりではない。岡﨑の著作を通じてその作品分析にふれるとき、なににも増して驚かされるのは、粘土をこねる指のように対象の内奥へ分け入っていくクロスモーダルな鑑賞眼だ。対象にふれる指のように、あるいはスープを味わう舌のように。画家の眼は視覚ばかりでなくその他の感覚器官と連動しながら、絵画がいかなる工程を経て完成へと至るのか、つまりは絵画の組成へと潜り込んでいくのだ。
出版社のウェブサイトで連載されたエッセイを集めた本書は、そのような岡﨑の鑑賞眼がいかんなく発揮された、それでいて岡﨑自身の制作のインスピレーションの一端も明らかにする重層的な構成を持った書物である。中世の宗教画、近世の風俗画、近代絵画、さらには絵本や博物図譜など、古今東西の造形芸術を取り上げて語り、文章の末尾に自作の図版を添える。この構成自体がまず、すこぶる啓発的だ。例えばニコラ・プッサンの風景画における地面の表象に、岡﨑は土木工事の現場で起こっているようなダイナミズムを見る。岡﨑の言を借りればプッサンの描く地面は、「たんに塗られた絵の具の層」であると同時に「物語を生み出す原器」なのである。そしてこの、他者の作品について語られた言葉が、岡﨑自身の色彩豊かな小品において不定形の泥=絵具としてとらえ返されるのを読者は確認する。末尾に添えられた自作図版は、先行する偉大な芸術作品へのアンサーというだけでなく、ちょうど音楽記号のダ・カーポのように、読者をふたたびの読書=鑑賞に促す役割を持つのだ。語られた作品とつくられた絵のあいだに、有機的な循環が生まれている。
芸術のみならず、神話、文学、自然科学など多分野にわたる博学博識が闊達な分析を下支えしているのは言うまでもないが、本書の最大の魅力は、それらの知識を血肉化し、筆者の呼気を隅まで行き渡らせた瑞々しい語りにある。岡﨑の晦渋な芸術理論にハードルの高さを感じていた読者も、本書には異なる手触りと親しみを覚えるのではないか。
造本デザインも秀逸だ。文字と図版の程よいバランスがページをめくる愉しみを増幅させてくれる。絵画をじっくり味わいたいすべての人に本書は開かれている。
(『美術手帖』2023年4月号、「BOOK」より)