久しぶりに本が読みたくなる書評『山岳信仰 日本文化の根底を探る』(鈴木正崇 著・中央公論新社)
さて今回の書評は、山にちなんで『山岳信仰 日本文化の根底を探る』(鈴木正崇 著・中央公論新社)を取り上げようと思う。新書版だがなかなか充実した内容で、民俗信仰の概観図といった趣がある。序章のほか、出羽三山、大峰山、英彦山、富士山、立山、恐山、木曽御嶽山、石鎚山の山々の山岳信仰が説明されている。
序章では山岳信仰の全般的な説明がなされていて、この部分だけでもかなり読み応えがある。
山岳信仰は、自然を崇拝するアニミズムがその底流にある。なので、山岳信仰の中に日本の原初的な宗教の片鱗も見出すことができる。たとえば「山中他界観」がある。死者の霊魂が山中に集まるというものだ。この本によると、東北の恐山・月山、関東の相模大山、中部の白山・立山、近畿の高野山、伊勢の朝熊(あさま)岳、那智の妙法山などがそれにあたるらしい。山は天に近い。だからこそ、彼岸と現世の境界線になりうるのだろう。
こういった古代人の死生観に外来の宗教である仏教が加わることによって、山岳信仰は一層の複雑さと深みを増すことになった。仏教の影響によって「山中他界」は仏菩薩の居地とされた。阿弥陀如来や観音菩薩がおわす極楽浄土や補陀落浄土とみなされたのである。
一方、飛鳥時代、奈良盆地の三輪山の大神(おおみわ)神社では、三輪山そのものが聖域とされた。そのため神社には拝殿はあるが本殿はなく、ある地点以上は禁足地とされた。山そのものが拝む対象なのである。この時代までは「山」は自然の猛威の象徴であり、祟りを人々に投げかける神であった。だが、奈良時代に入ると山岳信仰に対する考え方が変わり始めてくる。
「奈良時代には、山を里から遥拝するだけでなく、山に入って自然の霊力を身につけようとする修行者が現れた。聖(ひじり)、禅師(ぜんじ)、優婆塞(うばそく)などの半僧半俗の人びとで、私度僧(しどそう・正式な官許を得ていない僧)も含まれ、彼らは山中で神霊と交流して一体化するシャーマン(巫者・ふしゃ)でもあった」
山を神として、畏れ、崇拝し、奉る対象から、その霊力を「利用」しようとする考えが生まれたのである。これは何気ないようでいて、日本人の精神史にとって画期的な出来事ではないだろうか。山の神と一体化しようという発想は、恐れおののき奉ることに終始する態度から一歩踏み出している。
時代はさらに進んで平安時代に入ると…
「平安時代初期に最澄(767~822)は比叡山を開山して天台宗を、空海は高野山を開山して真言宗を開き、山林修行を取り込んだ」
山の持つ凛と張りつめた空気は修行にもってこいの「場」なのだろう、日本仏教界の二大巨頭の最澄と空海が「山」を修行の場として選んだのである。
ここで面白いのは、比叡山延暦寺の立ち位置だ。古代中国の陰陽五行説を出自とする「北東の鬼門」を、平安京の北東の比叡山に延暦寺を置くことによって邪気払いをしようとした。古代中国の宗教哲学の不吉を、インド北東部発祥の仏教で清めようとする発想は、おおらかな宗教観をもつ日本独特のものだろう。