哲学者・千葉雅也が語る、「哲学・思想」と「自己啓発・ライフハック」の意外な関係
――インターネットなどで『現代思想入門』の感想を見ていると、「内容は難しいのにわかりやすい」という声が多く見られます。一方で、本書で展開される、現代思想の読み方の解説に触れていると、そもそも「わかりやすい」「わかりにくい」ってどういうことなのか? ということについて再考させられる瞬間もありました。
まずは『現代思想入門』について、「わかりやすい本をつくった」という意識があったか、また、「わかりやすさ」についてどう考えているのかをおしえてください。
千葉 その点はちょっと複雑で、『現代思想入門』は、「わかりにくい哲学のテクストを積極的に読んでもらうためのわかりやすいガイド」を目指したものです。僕自身は、世の中には「わかりにくくて価値が高いもの」が存在すると強く思っていますが、一方で、わかりにくさと付き合うためには、わかりやすく書くことも重要であるわけです。
そう考えると、そもそも「わかりやすさ/わかりにくさ」という対立を作り上げて、そこに一貫性を求めること自体、つまらないと感じませんか? 『現代思想入門』のなかでは、「自然/文化」のような二つの項目が対立する「二項対立」という状態を揺るがすこと(脱構築)について詳しく書いていますが、この本自体がこうして、「わかりやすい/わかりにくい」の二項対立を脱構築するような効果があると言えるかもしれません。
千葉 本書の「わかりやすさ」に関連して、僕の仕事のしかたについてお話しておこうと思います。大きく言って、今、僕の仕事には三つの側面があります。哲学的な問いを練り上げ、物事を調べて考えるという「哲学者」、芸術作品を作る「制作者」、大学で教える「教育者」です。『現代思想入門』は、差し当たっては「教育者」として書いたと言えます。
僕は大学で教える前から、身近な人に「自分の理解」をいかに伝えるか、いろいろと工夫するのが好きでした。「教えるのが好き」というとちょっと支配的な印象があるかもしれませんが、そうではなくて、僕の教育というのは、他人が突き当たってしまった「思考の壁」、あるいはその人のあり方を窮屈にしている「ブロック」みたいなものを、何とかうまく取り除いてあげられないかというものなんですね。いわば、肩こりをほぐす整体師とかトレーナーのような意識がある。
で、先ほど自分の仕事を「哲学/制作/教育」の三つに分けたけれど、こうした教育活動と、自分から主体的に何かを作り出す哲学や芸術といった仕事は、僕の中ではシームレスなんです。なぜなら、人に対する教育活動は、自分の中にあるブロックを突破することとつながっているからです。まずもって自分が「物事がうまく進まない」「どうやったらもっと楽にできるだろうか」と限界を感じながら、試行錯誤しますよね。そうして自分自身が壁にぶつかって考えているからこそ、他人の中に存在するブロックが見えるわけです。
このように、『現代思想入門』の「わかりやすさ」(とその脱構築)には、僕における複数の仕事の絡まり合いが関係しています。