『スターマン/愛・宇宙はるかに』監督:ジョン・カーペンター 評者:三浦哲哉【気まぐれ映画館】
最近だとマーベルの「マイティ・ソー」シリーズ(とくに第一作)も同様。神が地球人にまぎれて暮らすという設定によって、コミカルさと詩情とが生まれていて、とてもよかった。
『ベルリン・天使の詩(うた)』(ヴィム・ヴェンダース監督、1987)は、天使と人間という異存在間の恋を描いた名作。天使が地上に降り立ち、私たちにとっての「ふつう」を初めて体験する場面に感動させられる。初めてホットコーヒーを飲んだとき、あったかい……と笑みがこぼれる。この世界を真新しく観客に体験し直させること。それは映画というメディアが誕生して以来の夢、というか、使命だったのではないだろうか。だからこの物語設定は、映画の核心にどこかしら触れるのだろう。
さて、すでにタイトルをいろいろ挙げているけれど、今回、メインでご紹介したいのは『スターマン/愛・宇宙はるかに』(1984)だ。
宇宙人の男と地球人の女のラブロマンスである。ヒロインを演じるのは、カレン・アレン。映画草創期から活躍した神話的スター女優、リリアン・ギッシュをどこか彷彿とさせる凛とした存在感が漂っていて、惹かれる。彼女は死別した最愛の夫のことが忘れられず、夜な夜なその姿を8ミリフィルムで再生しては、往時の思い出に浸っていた。
そんなある夜、地球に不時着した宇宙人が、環境に適応して生き延びるためたまたま彼女の家に侵入し、8ミリフィルム上で目にした男の姿に変身する(遺された髪の毛からデータ採取してクローン化する)。姿形は死んだはずの夫そのものであるが中身は宇宙人、という存在を演じるのがジェフ・ブリッジス。
ふたりは車でアメリカ各州を横断する旅に出る。再び宇宙に戻るための合流地点へと向かうのだ。その道中がうつくしい。だんだんと地球の言葉と風習に慣れてゆくジェフ・ブリッジスの目と肉体を通して「このろくでもない、すばらしき世界。」の滑稽さ、愚かしさ、そして愛おしさが描かれるからだ。ダイナーの手作りアップルパイの美味。草原の風。夕景。カーペンター監督好みの、いかにも手作りといった合成画面も詩情を高める。
ふたりの距離が縮まってゆき、やがて離別の前に愛が交わされる。夫の姿をした宇宙人は最も親密であるとともに、最も異質な存在でもある。扇情的なところは何一つないが、ぞくぞくさせられる、すばらしいラブシーンだ。
宇宙人の彼が、地球人の愛の営み方を学ぶところもいい。深夜に放映していた映画(『地上(ここ)より永遠(とわ)に』1953)のラブシーンから知るのだ。すべてが複製である。にもかかわらず、一期一会の愛の奇跡が起きている。
(『中央公論』2023年8月号より)
【評者】
◆三浦哲哉
青山学院大学教授