「古事記」の誕生から読み解く!町田康の「口訳」がこんなに面白い理由《書評》『口訳 古事記』
町田康が日本最古の神話「古事記」を訳した『口訳 古事記』が話題を集めている。かねて「古事記」に深い関心を寄せてきた能楽師の安田登氏は、本書をどう読んだのか? その視点は、「記憶の天才」稗田阿礼と「外国人スペシャリスト」太安万侶がタッグを組んだ「古事記」誕生の場面にさかのぼる…。
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『口訳 古事記(町田康)』、こんなにぶ厚い本なのにあっという間に読み終わった。
多くの人は『古事記』の口語訳を読んで挫折する。現代語で書かれているのに読みにくいからである。こんなにも読みやすいのは、本書が「口語訳」ではなく、「口訳」だからであろう。
で、この「口訳」だが、これは、稗田阿礼の口が町田康の口に憑依して喋って出て来た「訳」に違いないと思っている。
『古事記』は、稗田阿礼が誦習していたものを、太安万侶が文字化したといわれている。語り手である稗田阿礼は、その名からして土着の日本人。記憶の天才ではあるが、文字を知っていたかどうかはよくわからない。しかも、若者だ。それに対して筆記者である太安万侶は、その名からしておそらくは帰化人。文字を知悉する外国人スペシャリストだ。
外国語である漢語・漢字を使って日本語を記述するなんてことは、『古事記』ができるまで誰も考えたことがなかった。文法も違うし、語彙も違う。土台無理な話である。それを「やってみろ」と言われたのが太安万侶だ。方法もわからない、できるかどうかもわからない。彼は悩んだはずだ。そして、ちょっとめんどくさかったに違いない。
話し手は、文字をよく知らないガキである。自分は外国人スペシャリストである。
「面倒だから、ここ、はしょっちゃえ」とか、「コピペでいっか」とか思ったはずだ。実際、疑われるところが多々ある。
コピペが疑われる箇所をひとつ紹介しよう。
お父さんである伊耶那伎命に「お前は海原を統治せよ」と言われた須佐之男命。しかし、彼は任地に行かずに髭が心前(むなさき)に達するまで泣き続けるのであるが、その結果を次のように書く。
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「是(ここ)を以(も)ち悪ぶる神の音、狭蠅(さばえ)如(な)す皆満ち、万(よろず)の物の妖(わざわい)悉(ことごと)く発(おこ)る」
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次はその少しあと。天照大御神が天岩戸に隠れたときのこと。世界中が真っ暗闇になった。その時には次のように書かれる。
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「是に万の神の声は、狭蠅なす満ち、万の妖悉く発りき」
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ね。似てるでしょ。「そのままだとバレるからちょっと変えておくか」というのもバレバレ。口語訳しちゃうとほとんど同じ訳になる。でも、町田康の「口訳」では全然、違います。
最初の須佐之男が泣くくだり。
「須佐之男命の影響下で禍をもたらす悪い神が大量発生して彼らが囁き交わす声や邪悪な哄笑が国中に響いて、それは恰も死骸に群がる蠅がたてる不快な羽音のようであった。此の世に起こりうる災いという災いがすべて起こった。
人がどんどん死んでいき、国が衰退していった。」
次の天照大御神の岩戸に隠れたあと。
「此の世の秩序というものが失われ、常に誰かしらが悲鳴や喚き声を上げ、怒声・罵声を発しているというどうしようもない混乱状態に陥った。
災厄が次々に襲いかかり、いろんなものが腐った。多くの者が堕落した。」
ね。もとはほとんど同じなのに、全然、違うでしょ。
特に面白いのが、天照大御神の岩戸のときに挿入される「此の世の秩序というものが失われ」という一句。六月と十二月の大祓のときに宣られる『大祓詞』には、天照大御神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降りてきたことによって、それまで喋っていた岩や樹木や草がおしゃべりをやめたとある。
天照大御神や瓊瓊杵尊によってもたらされた「秩序」、それが失われたときには岩や樹木や草が再び喋り出してすごい状態になる。それを踏まえての「口訳」です。