家族がいてもいなくても 「月の女神」の啓示
植えられたばかりのカエデの苗木に、息をひそめるように、そっと、とまっていた。
同じ棟の2階に住む入居仲間から、「あなたのハウスの前の庭にいたよ!」「何が?」「オオミズアオが…」と言われ、まさか、まさか、と思った。
でも、本当だった。
びっくりした。
オオミズアオとは、アゲハチョウぐらいの大きさの蛾(が)である。
広げたその羽が、青白くすき通っていて、なんともはかなげ。
学名には、ギリシャ神話に出てくる月の女神「アルテミス」の名がつけられているとか。
確かに美しい。
気品も感じられる。
そして、よくよく調べてみたらこの蛾は、なんと、なんと、羽化して美しい羽を持ったら、飲んだり食べたりする器官を失ってしまう。
そのため、わずか1週間ぐらいで、交尾し、卵を産み、そして、はかなくも短いその生を終えてしまうのだそうだ。
そんなわけで、なかなか見られない特別な蛾。
いずれ絶滅危惧種に認定されるのじゃないのか、とも言われているとか。
実は、このオオミズアオは、この夏の終わりに、私たちシニア仲間が、原っぱの野外劇場で公演する人形劇に登場することになっている。
しかも、1カ月ほど練習が延びていたところ、やっと再開することになったばかりのその日に現れたのだ。
しかも見つけた彼女がこのオオミズアオの人形作りを担当したひとりでもあった。
そう、この人形劇の主人公は、虫嫌いの81歳のうりさん。
その彼女が、原っぱで遊んでいて、いろんな虫たちに出会ううちに、仲良くなり、このオオミズアオの幼虫をスズメバチの襲撃から救出することになる。
そして、そのさなぎにくるまれて眠るうちに自らが羽化し、オオミズアオとなって空の彼方(かなた)へと消えていく。
これが結末。
なかなかにシュールだ。
が、果たして、観客に分かってもらえるだろうか、といえば、どうかなあ、という感じ。
でも、この日、天の啓示のように庭に訪れたオオミズアオ。
膝が痛くても、腰が痛くても、頑張って、最後までおやりなさいよ~、と言われてしまった気分である。(ノンフィクション作家 久田恵)