京都学派の祖、西田幾多郎が晩年に達した「開かれた世界」とは?
西田哲学の展開についてみると、「場所」の立場に到達したところで退職の時期を迎えたことになる。本書でたびたび述べるように、西田は一貫して一つの根本的な立場から一切の世界を説明する努力を続けた。だが、生涯にわたる思想展開の過程で探究の重心が変化していったのも事実である。
西田哲学をどのように時期区分するかは学問的な検討課題であるが、本書では前期・中期・後期の三区分で考えてみたい。前期においては「純粋経験」から「自覚」へと、世界を説明する根本的立場の究明に思索の力点が置かれた。
その過程を経て到達したのが「場所」の立場であり、本書ではこれを中期とみる。
そして後期においては、「場所」の立場を基本としながら世界の諸事象――さまざまな学問や文化、芸術、宗教など――を説明することへと傾注していった。
後期西田哲学の用語は、それまでの時期と比べて多彩であり、より複雑なものとなっている。
後期のキーワードとしては、「歴史的世界」「弁証法的世界」「行為的直観」「絶対矛盾的自己同一」などが挙げられるが、「純粋経験」「自覚」「場所」といったそれまでのキーワードと比較してより複雑で、しかも概して厳
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めしい印象を与えるのではないだろうか。 後期のキーワードが複雑であるのは、「~的~」という形で二つの要素を組み合わせて作られている点によく表れている。しかも、西田哲学の難解さを象徴するかのような「絶対矛盾的自己同一」という用語に至っては、「絶対矛盾」と「自己同一」というそれ自体矛盾すると見える二つの言葉が「的」という言葉によって結び付けられているのである。
だが本章では、後期西田哲学の用語を一つ一つ取り出して解説する形はとらない。むしろ晩年に至る西田の立場を「歴史的世界」の立場として捉えて、私たちの自己と世界との関係を西田はどのように考えていたのかを読み取ることに努めたい。