命のしずく「漆」:人間国宝・大西勲と大子の漆掻き
人間国宝の大西勲はものづくりの細部にまでこだわる漆芸家だ。塗料である漆も最高品質の大子漆しか使わない。原液から上塗りに使う「色漆」にしていく作業も全て自分一人でこなす。真夏に行われた漆掻(か)きの様子を交え、そうした工程を追った。
大西勲は「髹漆(きゅうしつ)」の重要無形文化財保持者(人間国宝)だ。「髹漆」の「髹」は「刷毛で塗る」ことを意味し、螺鈿(らでん=漆器に貝の薄片を嵌め込む技法)や蒔絵(まきえ=漆を塗った上に金粉を蒔きつける技法)などとは異なる、加飾のない、漆塗りを主とする漆工技法のことをいう。大西が塗りに使うのは、日本最高峰と称される大子(だいご)漆だ。
漆の採取は、樹肌に深さ5ミリ程度の傷を横方向につけることから始まる。そしてその上方に間隔をあけて少しずつ長めの傷をつけていく。樹は傷を癒すために樹液を分泌する。この液を一滴ずつ掻(か)き取ったものが漆の原液となる。下から3~4本目までは樹液を取らない。この段階で採取すると樹液の出が悪くなってしまうからだ。その上方に付けた5本目以降の傷跡からにじみ出た樹液をえぐり、鎌で掻き出し漆桶に入れていく。
漆掻きは毎年6月初旬に始まり、10月末でシーズンを終える。7月初旬までの漆液は「初漆(はつうるし)」と呼ばれ、「呂色磨き」(艶を出すための最終工程)に使われる。7月中旬から8月中旬までの暑い盛りに掻いた樹液は「盛漆(さかりうるし)」と称され、大子漆の中でも最上質とされる。大西が仕上げ段階の上塗りに使うのは、透明度が極めて高いこの貴重な漆だ。動画では盛漆を掻く様子を紹介している。それ以降に採取される樹液は「遅漆(おそうるし)」「裏目漆(うらめうるし)」といい、中塗りや下塗りに使われる。
漆掻き職人から届けられた漆の原液を、大西は2年から3年かけて寝かせておく。その間、少しずつ水分が蒸発し粘度が増していく。夏の最も暑い晴天の日を選んで、寝かせた漆を大きな木鉢に入れ、天日のもとで摂氏40度程度の熱にさらしながら、ひねもす大きな棒でかき混ぜていく。こうした作業によって沈殿した漆を拡散して均一にし、さらに水分を飛ばす。通常このような精製作業は精漆工場で行われるが、大西は全てを自分でこなす。
そして精製した漆に赤や緑などの顔料を加え、ヘラや棒で練り込んで「色漆(いろうるし)」にしていく。さらに顔料を漆になじませるために数日寝かせ、和紙で漉(こ)して不純物を取り除く。何段階ものプロセスを経て、下塗り、中塗りの後で上塗りするための色漆が完成するのだ。
漆器の産地ではチューブに入った市販の色漆を使うのが一般的だが、自らの手で原液から色漆にしていく工程を一貫して手掛ける漆芸家は極めて珍しい。「人間国宝なんて呼ばれていますが、自分はあくまで職人」と大西は言い張る。「何事も人任せにせず、一つひとつの工程を丹念に仕上げていくことだけを常に心掛けています」
漆の樹が絞り出した貴重な“命のしずく”に全身全霊で向き合うこと。そうした職人魂こそが、大西を人間国宝たらしめている。
(文中敬称略)
取材・文:近藤久嗣(ニッポンドットコム編集部)
動画・写真撮影:乙咩海太
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乙咩 海太 OTOME Kaita
写真家。1988年、神奈川県生まれ。2012年、東京造形大学デザイン学部写真専攻領域卒業後、株式会社amana入社。2015年、フリーフォトグラファーとして独立。