内面を描くのが小説家 直木賞の小川哲さん
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2回目のノミネートで直木賞を射止めた小川さんはSF界の新鋭だ。受賞作「地図と拳」で描いたのは満洲の、とある炭鉱都市の半世紀。奉天の東、採炭地という設定は南満洲鉄道が整備した近代都市・撫順(ぶじゅん)のようだが、「地理的な情報や史実を参照した部分もある架空のまち」だという。
「史実の解釈が人によって違っても、第二次世界大戦のようなことを繰り返してはいけないという考えは同じと思う。何かしら考える材料を与えられたら」と話す。
軍による中国人住民殺害、その引き金となった抗日ゲリラの襲撃と、撫順を想起させる事件が起きる一方、千里眼のようなSF的要素も。日露戦争前夜から第二次世界大戦までの歴史と空想がないまぜの物語だ。
「一つの視点からでは大事な部分を取りこぼす」との言葉通り、多くの登場人物がそれぞれの視点で語る。拳を振るう匪賊(ひぞく)に追われるロシア人宣教師。存在しない島が地図に描かれた理由を追い求める満鉄職員。天皇陛下のことだけを考える憲兵…。640ページの長編だが、情景と心理の緻密な描写で飽きさせない。
中学高校時代、父親の本棚にあった国内外のSF小説を読んだ。大学の研究者を目指していたが、小説家のほうが自由だと思った。
東京大大学院在学中の平成27年、「ユートロニカのこちら側」でハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。令和元年の「噓と正典」に続き2度目の直木賞候補となる本作で栄誉を獲得した。
「史実の積み重ねでは分からない個人の内面を描くのが小説家の仕事。戦争について人それぞれ考え方があり、交わらない意見があるが、どんな意見の人にも読んでほしい」と期待を寄せる。(寺田理恵)