戦いの地から平和を願う場所へ ワーテルローと組んだ「関ケ原古戦場」プロジェクト
そんな時代の到来を予感していたかのように、2015年(平成27年)3月、岐阜県の古田肇知事の肝いりで、岐阜県と関ケ原町の間で「関ケ原古戦場グランドデザイン」が策定された。
これは史跡地へ観光客を誘う拠点施設プロジェクトとして、古戦場エリアに新しい記念館を建設して、この地域を活性化させようというものだった。
私は策定の1年ほど前から検討会議に加わり、2020年(令和2年)10月の「岐阜関ケ原古戦場記念館(関ケ原メモリアル)」のオープンまで、観光アドバイザーとしてこのプロジェクトに取り組んできた。
そのなかで、知事から与えられたいちばん重要な課題が「関ヶ原の古戦場を世界三大古戦場の1つにして、世界へ向けてその魅力を発信する」というものだった。
■「世界古戦場サミット共同宣言」の表明
私は長崎の原爆記念日と同じ8月9日の生まれだ。物心ついたときから自分の誕生日に行われる平和記念式典を、毎年、テレビを通してみつめてきた。不条理に奪われてしまった命について想い、二度とそんなことが起きてはいけないと長崎から遠く離れた岐阜県で考えてきたし、いまもその想いは変わらずにある。
そんなこともあり、正直言って昔から「戦いもの」が好きではなく、映画やドラマでも戦いのシーンにはいつも目を閉じるかスキップしてきた。それが仕事で否応もなく「関ヶ原の戦い」に関するプロジェクトに携わることになってしまったのだ。
戦いものが好きではない私が、プロジェクトではベルギー王国にあるナポレオン最後の戦いで有名な「ワーテルロー古戦場」との連携交渉の役目を担うことになった。ちなみにもう1つの世界三大古戦場はアメリカ合衆国にある「ゲティスバーグ古戦場」だ。
岐阜県が世界の名だたる古戦場とどのように連携を結び、3大古戦場と名乗れるようにすればよいのか、かなり悩んだ。岐阜県庁のスタッフの努力で、まずはワーテルロー古戦場記念館のトップとの面談実現にまでこぎつけた。
2015年(平成27年)8月、現地に赴き、まずワーテルロー古戦場記念館の視察をし、そのボリューム感と上映されていた戦いの映像のリアルさに圧倒され、ほとんど泣きそうになりつつ、翌日の面談に向かった。
挨拶をして、前日の記念館の感想を述べた後、にこやかに微笑む先方のダイレクターにむかって私が発したのは「あなたがこの記念館で仕事をしていらっしゃるいちばんの目的は何なのでしょうか?」という問いかけだった。
実は、私はワーテルローに向かう前に、もう一度、自分の考えを整理しようと日本で関ヶ原を訪れていた。そして古戦場をひとまわりしたのち、開戦地の近くにある「平和の杜」という小さな広場にさしかかった。
そこには、古戦場エリアに隣接する関ケ原製作所が、1991年にフランスの彫刻家である ピエール・セーカリー氏と共同作業で設置した、兵士の兜を積み上げた巨大な石像彫刻「関ヶ原」があった。
以前から彫刻は目にしてはいたが、その日あらためて作品を前にして、大地に埋め込まれた石のプレートに刻まれた「真の勝者は戦いからではなく、平和を望む人々にのみ与えられる」というセーカリー氏の言葉が、リアルに私の中に沁みわたってきたのだ。