20年重ねてきた“選外”が「僕の勲章」 人間国宝・藤塚松星さん
文化庁からの連絡に「僕なんかで、いいのかな」と思ったという。謙遜ではなく、実感である。思い出したのは紫綬褒章の縁で友人になった俳優・役所広司さんからの手紙の一文。「元気で生きていれば、びっくりすることがある」としたためてあった。
大磯高卒業後、大好きな天文関係の仕事がしたいと天体望遠鏡の会社に勤めたが、趣味と商売のギャップが埋められず、退職を決意。「存分に星を見られる生活」を求めて職探しを始め、たまたま出会ったのが竹工芸だった。
不純な動機による弟子入りだったが、日展で活躍した恩師・馬場松堂の「人がやったことはできないはずはない。新しいことをやるから意味がある」との言葉を胸に精進を重ねた。芽はなかなか出なかった。日本伝統工芸展では落選を重ね、初入選まで20年近くもかかった。「たくさん並べた『選外』が僕の勲章」と笑う。
新たな挑戦には批判がつきまとう。今や藤塚さんの代名詞となった緑色や紫色の竹工芸、見る角度によって景色が変わる「彩変化(さいへんげ)」も例外ではなく、「色でごまかしている」との批判を浴び続けた。
人間国宝の認定は、新たな技法へのあくなき挑戦への評価と受け止めている。「いろいろあったから、うれしいんだろうね」
気がかりなのは、バイヤーもコレクターも海外に依存している現状だ。無限の可能性を秘めた竹という造形素材の魅力をもっと日本人に知ってもらいたいと、大磯町での展示イベントを企画している。竹文化を未来につなぐ使命と共に人間国宝の新たな創作が始まる。【因幡健悦】