売春宿からスラム街まで 男でも女でもないインドのサード・ジェンダー「ヒジュラ」を追った写真家・石川武志〈dot.〉
「よく写真展の審査が通ったなあ、と思って」
開口一番、石川武志さんは、そう口にした。
5月4日から東京・新宿のOM SYSTEM GALLERYで写真展「MUMBAI HIJRAS(ムンバイ・ ヒジュラ)」を開催する。テーマは、インド文化圏に存在する「ヒジュラ」と呼ばれるサード・ジェンダーの人々だ。
「昔は『そんな人たちを撮るなよ』と、露骨に言われた。ジェンダーという言葉が知られていなくて、『何それ?』って言う人もいた。作品をさまざまな雑誌に持ち込んでも、掲載を断られることが多かった」
1995年、石川さんは『ヒジュラ―インド第三の性』(青弓社)を出版すると、本の情報を自身のホームページに載せた。「注文の99%は外国からだった」。日本での手ごたえはほとんど感じられなかった。
「でも、社会の雰囲気が少しずつ変わり、最近はLGBTとか、日本でも性の多様性が語られるようになってきた」
そもそも、ヒジュラとは何か?
「男と女の中間のイメージなんですが、もう少し丁寧にいうと、ヒジュラに転換したジェンダーの人たち。普通、性転換というと、男から女とか、女から男なんですが、ヒジュラの場合は中間の性に転換している。でも、これを正確に説明するのは難しい。同じインドのヒジュラでもヒンズー教徒とイスラム教徒では性区分が違いますから。結局のところ、ヒジュラに代わる言葉って、ないんですよ」
■ヒジュラにひれ伏す女性
石川さんは40年以上も前からヒジュラを撮り続けてきた。
「撮影を始めたころはヒジュラを知っている人なんて、ほとんどいなかった。文献もなかった。ましてやフィールドワーク的に写真を撮っている人は誰もいなかった」
石川さんが初めてヒジュラを目にしたのは1978年。ドイツからインドを目指して車で旅をする途中、パキスタンのラワルピンディに滞在していたときだった。
「パキスタンには日本の芸者のような世界があるんですよ。宮廷文化の名残なんですが、お座敷で男が楽器を鳴らし、女性が踊る。その踊り子のなかにヒジュラがいた。連れて行ってくれた金持ちの息子が『彼女は女性ではないよ』と言う。こんな世界があるんだ、と思ったけれど、当時はそれを追いかける気力がなかった」
パキスタンに来る前、アフガニスタンで内戦が勃発し、神経をすり減らした。その後はインドにたどり着くの精いっぱいだった。