境内の念入りな描写 松本清張「球形の荒野」舞台、南禅寺を歩く
終戦工作のため死を装った野上が極秘裏に帰国し、娘の久美子(節子のいとこ)を呼び出すのが京都・南禅寺の山門だ。歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」で、石川五右衛門が咲き誇る桜を見下ろして「絶景かな」と叫ぶ場面でおなじみ。清張は「古びて黒ずんでいる」「汚らしく見える」と腐し、舞台と同じなのは「大きさだけ」と随分な書きぶりだが、40年ほど前に大規模改修された。子どもの頃は登れなかった覚えがあるし、久美子が登楼する描写もないが、今は昼間に楼上を拝観できる。
一方、赤松などの林の中に山門の他、方丈や法堂、別院が建ち並ぶ境内の様子の描写も念入りだ。文庫本を首っ引きで境内を歩くと、特に方丈庭園と法堂の内部が小説そのままなことに驚かされる。60年ぽっちじゃ何も変わらない。さすが千年の都である。
余談を一つ。この作品はタイトルを示唆する決めぜりふが秀逸。ラスト近く、野上の同志のジャーナリストが謎に迫った記者に語る。「自分の生命を十七年前に喪失した男だ。彼にとっては、地球そのものが荒野さ」。これにはしびれた。【山本直】