「日本人は、社会参加に積極的だ」、アメリカの研究者がそう考えた「意外な理由」
日本人は社会参加に積極的だと言われることが多い。他国と比べても町内会などの自治会への参加率は高いし、PTA参加率も非常に高い。
こうした社会参加率の高さは、『やさしくない国ニッポンの政治経済学』の第1章で見た「蜃気楼・ルール仮説」から考えると、「ルールによる罰を恐れるがあまり」ということになるのかもしれない。
しかし、日本にはもちろん、その地域をよりよくしたいと願って自発的に社会参加をしている人もいる。地域の厚生を上げるためにボランティア活動に積極的な人を見たことがある、知っている、という人も多いのではないだろうか。
この日本人の社会参加について、PTAを例にして考えてみたい。
PTAは、英語のParent(親)、Teacher(教師)、Association(組織)の頭文字をとったもので、保護者と教師で自主的に組織され、両者が対等の立場で、子どもの健やかな成長を図ることを目的として活動する団体、ということが趣旨としてある。
ただし、任意加入が原則というのは名ばかりで、運動会などの学校行事の手伝い、保護者会の運営、登下校中の通学路のパトロールなど、日本のPTA活動はかなり多忙であるにもかかわらず、ほぼ100パーセントに近い加入率の学校もあるという。
また、PTAの負担が大きいため、参加者の多くが非就業の女性だとされる。共働き家庭の女性やシングルマザーは仕事と社会的プレッシャーの板挟みになり、PTAが男女不平等に加担している可能性もある。
このように、PTAへの参加が半強制的なものになっていると考えるなら、「蜃気楼・ルール仮説」が示唆するように、やはり懲罰などの社会制度のせいで、日本人は社会貢献、地域コミュニティーの活性化にも積極的であるように見えるだけ、ということになる。
しかし、ヴァージニア大学の政治学者レオナード・ショッパによると、こうした半ば強制されているPTAについても違った見方をすることができるという(Schoppa 2012)。全国レベルの組織に参加する傾向が強いアメリカ人に比べて、日本人はPTAなど、全国レベルではなく、ローカルな社会参加を好む傾向にある。
そして、これは決して強制的な参加ではなく、日本人の多くが自発的に地域コミュニティーをよくしようと思っての行動である、とショッパは言うのである。
私の学生の一人に、広島でホームステイをしたことがあるオランダ人の学生がいる。彼にこのショッパの仮説を話したところ、彼のホストファミリーも積極的に地域の活動に参加して地域コミュニティーをよくしようと努めていた、だから日本は地域貢献活動が活発で向社会的な人が多い国だと思っていた、ということだった。