ウクライナ隣国で踊る日本人バレリーナ 憲法施行75年で思うこと
福岡市の実家に避難していた3月、井手さんはテレビに映し出されたウクライナ南東部マリウポリの映像に言葉を失った。「私が踊ったところだ……」。黒く焦げ、屋根が崩れた建物が並ぶ。地方公演で何度も訪れた、緑豊かな街並みはすっかり変わり果てていた。恐怖に震える市民の姿に胸が締めつけられた。
3歳でバレエを始めた井手さんは世界での活躍を夢見て海外に渡り、17歳でロシア連邦ブリヤート共和国のバレエ団の研修生に。20歳だった2017年、ウクライナ東部ドニプロのバレエ団のオーディションに合格し、プロのバレリーナになった。ソロパートを踊る「ソリスト」として米国やカナダで公演するなどキャリアを積んできた。
しかし今年2月、外務省の度重なる退避勧告を受け、後ろ髪を引かれる思いで帰国。家族は国内にとどまることを望んだが、戦場と化したウクライナの映像を見るたび「踊り続けて、ウクライナ支援につなげたい」との思いが募った。3月末、ウクライナの隣国ルーマニアへ出発。ウクライナから避難したバレリーナを受け入れているモルドバのバレエ団に加わった。
かつて、単身で海を渡った自分を受け入れてくれたロシアの人たちのことも、プロとして踊る場を与えてくれたウクライナの人たちのことも、井手さんは愛してやまない。しかし、ロシアの侵攻で両国が戦火を交える事態になり、遠い世界の話だった戦争が現実となった。国と国の均衡で保たれている平和のもろさを思い知らされた。
表現の自由も脅かされている。井手さんがいるモルドバのバレエ団がロシアの作曲家チャイコフスキーの演目を披露することになり、身を寄せているウクライナ人バレリーナが母国の所属バレエ団に伝えると「チャイコフスキーを踊ったら首だ」と告げられた。反露感情は芸術・文化にまで及んでおり、彼女は悩んだ末、公演参加を諦めた。「芸術に垣根はないと思っていたのに」。井手さんは衝撃を隠せない。
これまで当然のように享受してきた平和も表現の自由も、失って初めて重みが分かる。憲法について深く考えたことはないが、日本でそのどちらもが守られている意義を、今ほどかみしめたことはない。
「戦争なんて人ごとだと思っていたが、始まってしまったら人が亡くなり、見知った町も破壊される。表現の無限の可能性まで失われてしまう。平和であることの意味を今こそ、自分の問題として考えたい」。その思いを多くの人に伝えるため、踊る。【竹林静】